鶴丸国永は主に耳掃除してほしい!

「先日の君の仕打ちに俺はたいそう傷ついたぜ!」
 スタン! と襖を開いて現れたのは枕を抱えた白い男。
 午後の演練を済ませて、遠征部隊を送り出して、さてお茶でも淹れて一息つくかなと腰を上げかけた審神者のもとにズカズカと部屋に白い男――鶴丸国永は乗り込んでくる。
「やあやあ君! 昨日はずいぶん面白そうなことをしていたじゃないか! 耳に棒を突っ込んでああも近くで触れ合うなんて……随分と親しい様子だったじゃないか、俺だってちょいとばかしお楽しみに混ぜて欲しかっただけだのに、君はあんなにつれない態度で俺を追い払って……一体何をしていたんだい? それとも二人(正確には一人と一振り)だけの秘密だって言うのかい?」
 儚げな容姿から考えられないほど、やかましいほどくどくどと捲し立てる刀に、その相手である審神者はついたじろぐ。
「な、なにって、ただ耳かきをしていただけですけど」
「あれが噂の耳かきだってぇ!? 俺も顕現してから一切耳かきをしていないぜ!」(この刀、なぜか異様に自慢げである)
「俺だって出陣に畑仕事と埃っぽいなかを駆けずり回ってきた耳垢が溜まっていないはずはない!」
「つまり?」
「つまり! 君を驚かせよう! 歌仙兼定の耳掃除をした時以上のな!」
「してもいいんですか耳掃除!? やったー!!」
 ビヨンッ! っと飛び上がる審神者。前回から引き続き、重ね重ね言うがこの審神者、普段は気性の優しい、大人しい娘なのである。そんな審神者の滅多にない、飛び上がって喜ぶ様が見られるなんてこちらの方が驚かされてしまったぜ、ヘヘッ! と鼻の下を掻きながら、早くも嬉しそうな鶴丸国永なのであった。
 
 明るい日差しのさす縁側で鶴丸国永の持参した枕をポンポンと整え、審神者は横になるように指し示す。しかし刀のほうは胡坐をかいたまま、好奇心に満ちた目を審神者の手元へ向けている。
 手にしたものをそちらへ差し出すと、
「これが耳かきか! なるほどこの匙のような部分で耳垢を掻き出すのか! こっちの白い房はなんだ?!」
「そういえばこの房ってなんのためについてるんでしょう? 小さな頃はこの房で取り切れなかった耳かすを埃取りみたいにとれるのかと思ってこっち側も耳の中に入れてしまったことがあったんですよね。耳かすのとれ加減はイマイチでしたが」
 何がそんなに面白いのか、受け取った耳かきにペタペタと触れ、掲げて眺めてみたりひっくり返してみたり。審神者からしてみるとただ耳掃除をするだけの何の変哲もない道具である耳かき。しかし目の前にいる刀はその機能に見合った形状や材質、装飾を観察して楽しんでいる。この刀には気さくなようで老獪な、どこか隙のない印象をこれまで受けていた。しかし初めて手にする道具を観察する様子はまるで幼子のようであった。齢を重ねた付喪神であっても今、この目の前にいる”鶴丸国永”という存在は人の身体を手にしてからまだ一年にも満たない存在なのだとこの主人は考えを改めていた。しかし同時にただ耳かき一本にああまで驚き、楽しむような熱量は持ち合わせていなかい。残念ながら、その温度差を理解しているのは審神者一人であった。
 
 ふと、刀の背後へ目をやる。鶴丸国永のほうはついに耳かきの臭いをかぐ段階にまで進んでいるが、自分も同じようにくんくんと周囲の匂いをかいでみる。鼻に抜ける新緑の香り。そうだった景趣を春のものから変えたんだった。桜色の景色からなじみ深い日常の景色へ。
(審神者の仕事は大変だけど楽しい。刀剣男士のみんなも優しくて、やる気があって人間性もよい。そんな彼らと一緒に仕事をするのはやりがいもある。けれども――自分自身が生きる姿勢はどうだったろう?
 彼らが傷ついて帰ってくる姿に自分が傷つかないように、無力感にさいなまれるのが嫌で心を鈍らせていなかっただろうか?
 今、目の前にいる刀のように些細なことに心躍らせることがここのところあっただろうか?)
 ――あった、心躍らせる瞬間が。つい最近、そして今も。
 先日歌仙兼定の耳掃除をしたときは彼のめったにない焦った姿を見たり、故郷の家族へ思いをはせたり、何よりも見逃さないように、取り逃さないように、こぼさないように、指先に神経を集中して大物の耳かすを掘り出した達成感は素晴らしかった。(結局片耳しか掃除させてもらえなかったのは残念だったが)
 そして今、新たな刀が自分に耳掃除をさせてくれる。彼の耳は掃除しやすい耳の穴だろうか? 耳かすは乾燥質? 湿質? 初めて掃除する耳の穴を前に胸の内から興奮がふつふつとわきあがってくる。
(こんなにワクワクするの、忘れていたけれどきっと大事なことだよね。鶴さんを見習ってこの気持ち、大事にしよう)
「それで主、耳掃除はまだ始まらないのか?」
「あなたがいまのいままで横になる気配もなかったんでしょう……」
 改めて鶴丸国永は持参した枕で横になり、審神者はその後ろ耳掃除しやすい場所に陣取った。
「なんだやっぱり膝枕はしないのか。いっぺんくらい体験してみたかったな」
「探せばそういうサービスを提供してくれるお店もあるんじゃないですかねぇ。さて、はじめますか」
 おくれ毛を耳にかける。耳の際をなぞる動きが何ともこそばゆい。耳の穴を覗き込む審神者の気配を感じるが――
「ん?」
「どうだ?」
「ん? んううんん? ……うそ!」
「驚いたか?」
「鶴さんの耳、びっくりするほど綺麗すぎて、つまんない」
「なんだって!?」
 気の抜けた声と同じように、ぞんざいに耳掻きが突っ込まれ、サワサワと外耳道を撫で回した。初めての感触にゾゾゾッと肌が泡立つが耳かきはすぐさま抜き取られる。
「細かいカスも全然ない……」
 眼前に差し出された耳かきには、いくらの黄色い細かいカスものっていないし。掌に擦り付けてもチリひとつ出てこなかった。試しに反対側も覗いてみたが結果は同様。どういうわけだか、顕現してから一度も耳掃除をしていないうえに、出陣に畑仕事と埃っぽいなかを駆けずり回ってきたはずの鶴丸国永の耳には耳カスが全く溜まっていなかったのだった。
「そんな~、耳カスが全然ないなんて耳掃除しがいがないじゃないですか」
 背後から審神者の明らかに落胆した声。
「そんなことってあるのか? 人間みんな食べたらその分排泄するし、垢だってたまる。俺たち刀剣男士も同じように食べて出すもん出すのに! なんでだ!?」
「……耳垢ってなにもしなくてもそのうち自然とでてくるから耳掃除しなくても問題ない。ってはなしもあるんですよね。もしかしたら鶴さんは特に耳垢が出ていきやすい、溜まりにくい傾向にあるのかもしれません」
「待て待て待て! もしかしたらちょっとこすっただけじゃ取れなかっただけかもしれんぞ! 穴の手前のほうにたまってないだけかもしれないし。もっとゴリゴリこすって奥まで掃除してみてくれないか!」
「いやそれは、やりすぎると中で傷になって血が出たり、外耳炎になったりするかもしれないのでそれは……」
「血が出たって、それこそ鼓膜が破れたって俺たちは手入れすれば治るんだから。なぁ!」
「今資材に余裕あるわけじゃないし、そういうことで手入れ部屋使うのはちょっと……ねぇ?」
 主人の明らかに気の抜けた返答。
「と言うことは、これで耳掃除おわりなのか!?」
「まぁ、そういうことになりますね」
「そんなぁ、そんなことって……耳掃除いっぺんくらい体験してみたかったなぁ」
「おもいっきり耳掃除したかったなぁ」
 ハァと項垂れるひとりと一振り。
「そうだ、ちょっと待っててください」
 落胆する鶴丸国永が止める間もなく審神者は襖の向こうへ消えていった。枕の横にころりと耳かきが転がっている。刀はそれを拾い上げて眺めてみてもさっきのような弾むような落ち着かないそれでいて胸の内がぽかぽかとするような気持ちは湧いてこなかった。正直ちょっと耳の穴をカサカサされただけで痛いとか気持ち良いとか感じる前に終わってしまったな。しかし主はいったいどこへ行ったのだろう。待っているように言ったからには戻ってくるのだろうが、どうしたものか。こうして一振りで待っていると”耳掃除ってどんなものだろうか、主はいったいどれほど驚くだろう”と膨らませていた気持ちがみるみるしぼんでいく。主だってあの様子ではさぞやがっかりしただろう。耳掃除ができるとあんなに飛び跳ねて喜んでいたのに……あんなに喜ぶ様子も初めて見たが、あんなにがっくりと項垂れる姿も今までなかった。主をぬか喜びさせてしまって、俺が耳掃除を願い出なければこんなにがっかりさせることもなかった。いや、そもそも先日、主が歌仙兼定に耳掃除している時に声をかけたのがそもそもよくなかったのかもしれない。あの時主はずいぶん冷たい態度だった。もしかしたら主にとって俺はそれほど大事な刀ではないのかもしれない。だって(しつこいようだが)主は基本的には大人しく、気の優しい、お人好しな娘なのである。一般的な常識のある人間の主は日ごろはなるだけ俺たちを平等に扱うようにしてくれてはいる。しかし、先日はおそらく至福の時だったであろう耳掃除を邪魔されてつい本音が出てしまったのかもしれない。今だってがっかりしてすぐに出て行ってしまったし。いまだに戻ってこないし、などと鶴丸国永が負の思考にとらわれる頃になってやっと、その両手に何やら見慣れない二つのものを抱えた主が戻ってきたのだった。
「お待たせしました」
 再び刀のもとへ腰かけた主の手にあったのは一つは透明な液体の入った小瓶、もう一つは何だか棒状のものが詰まった透明な――プラスチックとかいう合成樹脂(正直この合成樹脂とかいうものもよくわからん)で作られている――筒というにはいささか短くて落ち着かない。審神者が爪をかけて薄い蓋を開けると、白い粒がみっちりと規則正しく並んでいる。
「気持ち悪っ」
「?  あぁ、集合体恐怖症みたいな感じでしょうか」
「いやなんか、小さな虫の卵が並んでいるみたいで気持ち悪い……見てくれ、サブイボがでてきたぞ」
 内番着からむき出しの腕をこすって生理的な嫌悪感を逃そうとしている。
「ゔっ、そう言われると何だか私も虫の卵に見えてきました」
 つまみ出された一本の棒には両端に小さな白い塊がついていた。
「これは綿棒です」
「メンボウ? おぉ、綿棒――綿か」
「そしてこっちはベビーオイル」
「ベビーオイル? ベビーオ、オイル? 油か?」
「そうです、そうです」
「この綿棒の先にベビーオイルをちょいちょいとつけてっと、これで耳掃除しましょう」
「おおお? 耳掃除やめたんじゃなかったのか?!」
「耳掃除できないのも悔しいし、あんなに楽しみにしていた鶴さんをがっかりさせちゃうのもなぁと思いまして。これでなでるくらいなら耳の中を傷つけることもないでしょう。ささ、改めて横になってください」
 くいっと耳たぶをつまみ、感触を確かめるようにぐにぐにと親指でもてあそぶ。
「君の手はやたらと熱いな」
「いや、鶴さんの体が冷えてるんでしょう。何かかけるものでも持ってきましょうか」
「構わん構わん、別に寒いわけじゃなし。早く耳掃除してくれ」
 湿らせた綿棒で耳介の中をするすると撫でていく。いちばん外側の縁から中の段々へ滑る。
「んっふ、くすぐったいな」
「もうちょっと我慢してくださいね、耳の外側も鶴さんはやっぱりきれいですね。あーでもほら、中のほうは少しカスが取れましたよ」
 そうして見せられた綿棒の先はうっすらと黄色く染まっていた。
「へぇ! こんな感じになるのか。なるほど、それでもう一方の耳は使っていないほうの先で掃除するわけだなぁ。それで両端に綿がついていたわけか」
 手のひらが耳を覆う。耳の後ろに親指を回し、上から下まで耳全体をもみ始める。耳の薄い肉を挟む指が熱い。
(なんか急に照れてきたな!)
 思えば主は成人――かつて自分が作られたころの感覚とはまた違うが――年頃の娘なのである。このような近い距離で耳掃除なんてしているのは傍から見るとかなり親し気な様子に見えるのではないだろうか。自分と主はただの一介の従うものと率いるもの、はたまたモノと持ち主であるというのに! いや別に親しくなりたくない、というわけではないが! そんな鶴丸国永の中に渦巻く思いはつゆ知らず、審神者は耳介の凹凸に指を這わせるなど、もみ続けるのをやめなかった。
「鶴さんの耳たぶって薄いんですね」
「そ、そうか? 自分で自分の耳なんてそうじっくり眺められないからわからんな」
「私もひとの家族以外の耳なんて見る機会がなかったので全然知りませんでした。でもここにはたくさんの刀剣男士がいますからね」
 はて? いま相対している刀は鶴丸国永なのに。なぜ耳の話から刀剣男士の話になるのだろう?
「この間は歌仙兼定の耳掃除をして、そして今日! 鶴さんの耳掃除をして分かったんです! 耳厚さや形、耳の穴やそれこそ耳かすの様子だってひとによって全然違うんだって!」
「お、おう?」
「昔は自分の耳、できても家族の耳くらいしか耳掃除できませんでした。でも今は違いますね! 今ならうちの本丸の男士達の耳掃除がし放題!!」
「んんん?」
「人数だってたくさんいるからどんな違いがあるかたくさん見比べられますし、週に一回一振りずつ掃除していっても一巡するのは数か月かかる! これなら頻繁に耳掃除しすぎて炎症が……なんてこともない!」
(なんか勝手な計算を始めたぞ……)
「ありがとうございます鶴さん。おかげで生きていく中での潤いが一つできましたよ」
 正直みんなが素直に耳掃除させてくれるかわからないし、主の先ほどの計算は”捕らぬ狸の皮算用”にでもなりそうだし、そもそも自分が”初めての耳掃除”に思い描いていた驚きや喜びは全く得られなかった。むしろ自分は耳かすが全くたまらない体質だと発覚してがっかりしたものだが、
「耳掃除ってのはするほうも面白そうだな、俺も光坊たちの耳を掃除してみるか!」
「え! 私が掃除する耳とらないでください!」
 今目の前にいる刀である自分に全く集中していない審神者の様子はいささか残念だ。しかし新しい驚きの可能性を見出した鶴丸国永。その楽しみがやがて審神者の“刀剣男士の耳掃除をしたい!”という欲望とぶつかり、本丸内の諍いの種となるとは、誰が予想しうることだったろうか――【終】
あとがき

刀剣男士の耳掃除に異常に固執する審神者のシリーズを書こうと思ったもの。書くだけ書いてなんかつまんないかも?と放置していたけれどもったいないので掘り出してきた。
読み直してみるとなんだかんだで好きかもしれない。

2025年4月13日 pixiv投稿