これは本丸発足間もない頃、僕が顕現した日に起こったことです。ええ、僕はこの本丸で七番目に顕現した刀なんです。
僕が顕現したその日、先に顕現していた六振りの皆さんで遠征に行くことになリました。僕が顕現したから六振り全員で組んで少し遠い、時間のかかる遠征に行ける、と。はい、僕は本丸に残って。ええ、そうなんです。主様を一人残して長い時間本丸を離れるのは少し抵抗があったとか。今まではそんなに遠出はしてなかったそうなんです。ええ、そうですね、滅多にないのはわかっていますが、その、本丸が時間遡行軍に襲われたっていう事件もあるみたいなので。す、すみません、そうですよね。もし遡行軍が襲撃してきても、顕現したばかりの僕一振りが主様を守り切れないのはわかっています。でも……はい、先に顕現していたみなさんはお前がしっかり主を守るんだよ、と勇気づけてくださって。今にして思うと、主様をお一人にするのが心配だったというのも本当かも知れません。でも、きっとそれは建前で、皆さんまだ人の体に慣れない僕を心配してああして主様のそばに残してくれたんですよね。
す、すみません、お話が逸れてしまいましたね。はい、そうして僕は主様と一緒にお留守番することになったんです。皆さんが遠征に行っている間、一晩。そうですね、皆さんのお見送りして、その後は主さまに本丸を案内していただきました。ええ、本当にありがたいことです。あの時はまだ食事の仕方もよくわかなくって。はい、お食事も主さまが作ってくださいました。最初は味もよくわかりませんでしたが、食べているうちにだんだん美味しく感じるようになりました。
そうやって人の身体に慣れるために一日過ごして、夜は主様のお部屋で眠らせていただくことになりました。はい、虎くんたちも一緒に。
主様は初めはなかなか眠れないかもしれないから、何かあったら起こしにきたり布団に入ってもいいからね、と仰ってくださって。はい、主様の言うようにやはり人の身に慣れていないのか、なかなか眠れませんでした。そうしたら主様が灯りを落とした部屋の中で色々お話ししてくださって。先に顕現した皆さんのことや本丸で起こったことをお話ししながら、こう、ポンポンッと調子をつけて胸のところ軽くたたいて寝かしつけてくれたんです。そうするうちにやがて主様の手が止まりました。はい、どうやら主様が先に眠ってしまったようでして。虎くんたちもお布団の上で丸くなったり、寝返りを打ったりしてゴロゴロしていました。となりのお布団から主様の寝息がスゥスゥと聞こえてくるんです。僕も眠ろうと思って目を閉じてじっとしていたんですが、そうしていると主様の規則正しい寝息に混じってどこからか違う音が聞こえてきたんです。
スゥスゥ カーン スゥスゥ カーン……って。
いったい何の音だろう? そんな思いが頭の中に浮かんでくるのですが、その規則的な音のせいでしょうかね? さっきまで眠れなかったのにだんだんとまぶたが重くなってうつらうつらしてきました。そうして眠くなってきたのに、この音はいったいどこから聞こえてくるんだろうとぼんやり考えていて。意識は薄れていくのに耳は冴えてくような、頭の中が霞んでいるのに感覚だけが研ぎ澄まされて遠くの音が鮮明に聞こえるような。眠りに落ちる直前とか、朝早くにうっすら目が覚めた時にこういう感覚になるの、ありますよね?
そうして頭がぼーっとしているとき、音に混じって聞こえたんです。その、声です。その瞬間僕ハッと目が覚めて。はい、内容はよくわからなかったんですがブツブツブツブツ何か言っていて。すごく、嫌な感じがしたんです。今思うと、人の声なんて聞こえるはずがないのですが、あの研ぎ澄まされた感覚だから聞こえたんですね。それとも予感だったんでしょうか。目が覚めた途端その声は聞こえなくなったんですが、主様の寝息に混じって聞こえたあの カーン カーン という音はまだしていました。僕が目覚めたせいでしょうか、虎くんたちも目を覚まして落ち着かない様子で聞き耳を立てたりお部屋の中を歩き回ったりしていたと思います。
主様はまだ眠っていたので起こさないようにそっと布団から抜け出しました。襖のそばに寄って外の様子を窺ったんです。聞き耳を立てて。
本丸の外、庭? いいえ、あのカーン、カーンという堅い音はもっと遠くからしました。
僕、どうしようかすごく迷ったんです。でもやっぱり僕一人では決められなくって、申し訳ないけれど主様を起こしてみたんです。あまり大きな声を出して外にいる“何か”に気づかれたくなかったので少し控えめの声で呼びかけました。変ですよね、そんな遠くにいるものだったら、部屋の中のちょっとした物音なんか聞こえるはずがないのに。でも、聞こえたらどうしようってすごく心細い気持ちになったんです。
『主様、外で変な音がするんです。主様』
声をかけたくらいでは主様は目が覚める様子がないので今度は肩を揺すって声をかけてみました。あの、全然起きなかったんですよね。その、次は結構勢いをつけて揺すっても全然起きなくって。そのうち虎君たちも主様を起こそうとしてくれたのかお顔を舐めたり、鼻を寄せたり、果ては髪の毛をもじゃもじゃと、こう、いろいろやってくれたんです。でも主様はぐっすり眠っていて。別にこの時はまだ変な音がするだけでなにか怖いことが起こったわけではないんですよ。でもこんなにやっても主様は起きないし、誰にも相談できなくてどうしようって思い詰めてしまって。わ、笑わないでください~あの時は本当に不安だったんですよ。後からわかったんですけど、その、主様ってすごく眠りの深い方だったんです。
とっても迷ったんですがちょっとだけ外の様子を見に行くことにしました。変ですよね、さっきは外にいるであろう音の主に僕たちの存在を知られたくないと息を潜めていたのに。ほかの刀の皆さんに留守を任されたのだから主様を護らなければ、本丸で何か異常が起こっていたのなら確かめなければならない、そんなことを考えて。ええ、留守を任された責任を感じていたんだと思います。あっ、そうですね、責任だなんて言うのはいいわけで、ただ好奇心に駆られたのかもしれません。ちょうど縁側から庭に出られるような履き物があったのでそれをお借りしまして外に出たんです。はい、刀の身も持っていきました。夜の外は昼間とは空気の匂いが全然違って、涼しくてどこか湿った緑の匂い。今でも同じ季節になるとあの夜を思い出します。気持ちの良い匂いのはずなのに、カーン、カーン、と音がした時の不安な気持ちがぶり返してしまうんですよね。
はい、ひとりで様子を見に行くのは怖かったですけど、虎くんたちを危ない目に合わせるのも嫌ですし、主様をお一人にしてしまうのもどうかと思ったので、虎君たちに主様のことをお願いしたんです。僕ひとりでいきました。音を辿って庭を抜けるとまだ先、本丸と地続きになっている山の中から音がする。山の中を進んで音の元に近づくとだんだんと先ほどの声が聞こえてきました。山の中には草や石。自然のものがあって音を立てずに移動するのは大変でした。特にあの時は顕現したてでしたし、足の大きさに合わない履き物――今ならわかるんですが、あれはつっかけサンダルですね。それを履いていたので歩きづらくて。音の主に気取られないかとてもドキドキしていました。こう、喉のあたりの息が詰まってすごく苦しい感じです。心臓が口から飛び出るような、ってあんな感覚を言うんでしょうね。そうですね、話し声の内容なんですが、その、お話しするのは、ちょっとはばかられるような……。はい、とても怖い、悪意のこもった言葉、呪詛でした。もう声の、音の主がこの木陰のすぐ向こうにいるという所、そっと覗いてみると白装束の女性がとても立派な、大きな木の前で金槌を振り上げている所でした。
戦も、人の死も悪意も、知っているはずなのに目の前の強烈な負の感情を持つ存在の気迫に圧倒されてしまいました。それに、お恥ずかしい話なのですが、その時は本丸に人間が入ってくるわけがないと思って。その、もしかして女性の幽霊かと怖くなったんです。ぼ、僕は虎を退けたなんて言われていますが、本当に退けたわけではないですし。化物切りでも霊刀でもないので、対処の仕方もわからないし、どうしようって。この子供の体の感覚に引っ張られたのでしょうか。あまりの恐怖に身がすくんでしまって。
音の正体が確かめられたのだから、このまま白装束の女性に気づかれないうちにこのまま本丸に戻った方が良い。でもこれをこのまま放置して何かあったらどうしよう。そんな風に次の行動を決められず迷っていました。でも迷っていただけじゃなくて、その鬼気迫った様子から目が離せなくて、一瞬目を離した隙に”何か”恐ろしいが起こるんじゃないかって。どうしよう、どうしようって動けなくなっていたら、後ろでカサリ、と物音が。
急いで振り返れば虎くんが一匹、外に出て追いついてきたみたいなんです。なんだ虎君か……と安心して、時間としては一瞬だったのですが、後ろでカーンカーンと打ち付けていた音も止まりました。もう一度、さっきまで見ていたほうへ振り返ってみたら、金槌を振り上げてい白装束の女が目を剥き出してこちらを凝視していました。
時が止まったかのようにお互い制止していたんです。でも僕は虎君めがけて突進して、そのまま抱えて急いで走り出しました。そうすると一拍遅れて女も何か声を上げながら追ってくる。
もう混乱してしまって。どうしようどうしようどうしよう! ってそのことで頭がいっぱいで。来た道を戻って本丸の庭へ入り、縁側から本丸へ、主様の部屋に飛び込みました。虎君を下ろして、主様はまだぐっすりと眠っていて。やっと一息つきました。僕がついさっき見たものはただの悪夢だったんじゃないか、そう思えるくらい本丸の中は静かでした。ほっとしたところで、また何か聞こえてくる。だんだんあの女の声が近づいてくるんです。夢じゃなかったんだ! このままどこかに行ってくれないかと息を殺していました。でも、もしあのひとが本丸を見つけてしまったら? そうしてここまで追ってきたら? 主様を見つけてしまったら? 僕一人ならともかく主様に危害が加えられたら……。そうしている間にどんどん声が近づいてきて。金槌、金槌でしょうね女が持っていた。何かを打ち付けるような、鈍い音も聞こえてくる。
こうなったら僕、主様のもとへあの女がたどり着かないように、どうにかしようって決めたんです。
じっと縁側で音が近づいてくるのを待ちました。庭に入ってきて僕を見つけて、何か、言葉もはっきりしなくて何を言っているのかわからなかったのですが、とにかく大きな声で何かをわめきながら縁側に上がってきて。その人土足だったんですね。床が泥で汚れちゃうなって。相手が何者かわからなくて、もし主様を守り切れなかったらどうしようって。そんな風に不安だったのに、心のどこかは冷静で相手を観察していました。そうして近づいてきて女がつかみかかろうと手を伸ばしてきたギリギリまで引きつけて。その手をすり抜けるように交わしました。でも女とは離れずに。けれど手の届かないくらいの距離で。引きつけて、そうして主様の部屋とは反対の方向に。できるだけ遠ざけるようにしながら逃げていきました。
最初はそれでうまくいっていたんです。この調子でうまく引きつけられるって僕も油断したんですね。しばらく逃げていると女が追ってこない。あの恐ろしい声も聞こえない。離れすぎたのか、まさか主様の元に向かって? 急いで女を探しました。来た道を戻り、部屋を覗いて。そうしているとどこからかまた恐ろしい叫び声を上げながらどこかからか女が飛び出してくるんです。そうやって逃げているとだんだん外が明るくなってきました。外からガヤガヤと声も聞こえてきて、はい。遠征に出ていた皆さんが帰ってきたんです! 異変に気づいた皆さんが急いでやってきて。白装束の女を捕まえてくれて。こんのすけを呼び出して処理してもらって、そうしていたら主様が起きてきて。自分が寝ている間に何が起こったんだって、その驚いた顔を見て、今度こそやっと、本当に一息つけました。
はい、もうどうして気づかなかったんだろうって今から考えると不思議で情けないんですけど、幽霊なんかじゃなかったんですよね。はい、現代の人間だったんです。山の中に丑の刻参りに来たって。それに、女を主様に近寄らせないようにするなら本丸に戻らず敷地の外にいたらよかったんですよね。混乱していたのかそこまで思いつかなかったんですけど。本丸の中がドロドロにぐちゃぐちゃじゃないかって、怒られちゃいました。でも、へへっ、一晩たった一人でよく頑張ったって、皆さん褒めてくれました。
はい、僕たちの本丸は現世に拠点を構える形態の本丸だったんです。人里離れた土地で周囲には人払いの結界を張った。普通だったらそんなことまず無いはずなんですけど結界がうまく効いていなかったみたいで。現世の人間が本丸の近くまで入り込んでしまったんですね。一応こんのすけに結界を張り直してもらったんですがね。はい、その、どういうわけだか僕たちの本丸は度々この結界が弱まって現世の人間が入ってきてしまうんです。今でも。その、丑の刻参りの有名なす、すぽっと? 名所? になっているとか。一般の方に入ってこられると困るのですが。え? そうですね、困るけど平気ですよ。幽霊じゃなくてただのひとですからね、人間でしたら僕でも切ることができますからね。怖くないですよ。
でもひとを切ることはありません。本丸に入ってきてしまったひとは政府の方がちゃんと連れて行って、もうここには来ないようにしてくれるので。
審神者増加活動に貢献した五虎退が語った話
僕が顕現したその日、先に顕現していた六振りの皆さんで遠征に行くことになリました。僕が顕現したから六振り全員で組んで少し遠い、時間のかかる遠征に行ける、と。はい、僕は本丸に残って。ええ、そうなんです。主様を一人残して長い時間本丸を離れるのは少し抵抗があったとか。今まではそんなに遠出はしてなかったそうなんです。ええ、そうですね、滅多にないのはわかっていますが、その、本丸が時間遡行軍に襲われたっていう事件もあるみたいなので。す、すみません、そうですよね。もし遡行軍が襲撃してきても、顕現したばかりの僕一振りが主様を守り切れないのはわかっています。でも……はい、先に顕現していたみなさんはお前がしっかり主を守るんだよ、と勇気づけてくださって。今にして思うと、主様をお一人にするのが心配だったというのも本当かも知れません。でも、きっとそれは建前で、皆さんまだ人の体に慣れない僕を心配してああして主様のそばに残してくれたんですよね。
す、すみません、お話が逸れてしまいましたね。はい、そうして僕は主様と一緒にお留守番することになったんです。皆さんが遠征に行っている間、一晩。そうですね、皆さんのお見送りして、その後は主さまに本丸を案内していただきました。ええ、本当にありがたいことです。あの時はまだ食事の仕方もよくわかなくって。はい、お食事も主さまが作ってくださいました。最初は味もよくわかりませんでしたが、食べているうちにだんだん美味しく感じるようになりました。
そうやって人の身体に慣れるために一日過ごして、夜は主様のお部屋で眠らせていただくことになりました。はい、虎くんたちも一緒に。
主様は初めはなかなか眠れないかもしれないから、何かあったら起こしにきたり布団に入ってもいいからね、と仰ってくださって。はい、主様の言うようにやはり人の身に慣れていないのか、なかなか眠れませんでした。そうしたら主様が灯りを落とした部屋の中で色々お話ししてくださって。先に顕現した皆さんのことや本丸で起こったことをお話ししながら、こう、ポンポンッと調子をつけて胸のところ軽くたたいて寝かしつけてくれたんです。そうするうちにやがて主様の手が止まりました。はい、どうやら主様が先に眠ってしまったようでして。虎くんたちもお布団の上で丸くなったり、寝返りを打ったりしてゴロゴロしていました。となりのお布団から主様の寝息がスゥスゥと聞こえてくるんです。僕も眠ろうと思って目を閉じてじっとしていたんですが、そうしていると主様の規則正しい寝息に混じってどこからか違う音が聞こえてきたんです。
スゥスゥ カーン スゥスゥ カーン……って。
いったい何の音だろう? そんな思いが頭の中に浮かんでくるのですが、その規則的な音のせいでしょうかね? さっきまで眠れなかったのにだんだんとまぶたが重くなってうつらうつらしてきました。そうして眠くなってきたのに、この音はいったいどこから聞こえてくるんだろうとぼんやり考えていて。意識は薄れていくのに耳は冴えてくような、頭の中が霞んでいるのに感覚だけが研ぎ澄まされて遠くの音が鮮明に聞こえるような。眠りに落ちる直前とか、朝早くにうっすら目が覚めた時にこういう感覚になるの、ありますよね?
そうして頭がぼーっとしているとき、音に混じって聞こえたんです。その、声です。その瞬間僕ハッと目が覚めて。はい、内容はよくわからなかったんですがブツブツブツブツ何か言っていて。すごく、嫌な感じがしたんです。今思うと、人の声なんて聞こえるはずがないのですが、あの研ぎ澄まされた感覚だから聞こえたんですね。それとも予感だったんでしょうか。目が覚めた途端その声は聞こえなくなったんですが、主様の寝息に混じって聞こえたあの カーン カーン という音はまだしていました。僕が目覚めたせいでしょうか、虎くんたちも目を覚まして落ち着かない様子で聞き耳を立てたりお部屋の中を歩き回ったりしていたと思います。
主様はまだ眠っていたので起こさないようにそっと布団から抜け出しました。襖のそばに寄って外の様子を窺ったんです。聞き耳を立てて。
本丸の外、庭? いいえ、あのカーン、カーンという堅い音はもっと遠くからしました。
僕、どうしようかすごく迷ったんです。でもやっぱり僕一人では決められなくって、申し訳ないけれど主様を起こしてみたんです。あまり大きな声を出して外にいる“何か”に気づかれたくなかったので少し控えめの声で呼びかけました。変ですよね、そんな遠くにいるものだったら、部屋の中のちょっとした物音なんか聞こえるはずがないのに。でも、聞こえたらどうしようってすごく心細い気持ちになったんです。
『主様、外で変な音がするんです。主様』
声をかけたくらいでは主様は目が覚める様子がないので今度は肩を揺すって声をかけてみました。あの、全然起きなかったんですよね。その、次は結構勢いをつけて揺すっても全然起きなくって。そのうち虎君たちも主様を起こそうとしてくれたのかお顔を舐めたり、鼻を寄せたり、果ては髪の毛をもじゃもじゃと、こう、いろいろやってくれたんです。でも主様はぐっすり眠っていて。別にこの時はまだ変な音がするだけでなにか怖いことが起こったわけではないんですよ。でもこんなにやっても主様は起きないし、誰にも相談できなくてどうしようって思い詰めてしまって。わ、笑わないでください~あの時は本当に不安だったんですよ。後からわかったんですけど、その、主様ってすごく眠りの深い方だったんです。
とっても迷ったんですがちょっとだけ外の様子を見に行くことにしました。変ですよね、さっきは外にいるであろう音の主に僕たちの存在を知られたくないと息を潜めていたのに。ほかの刀の皆さんに留守を任されたのだから主様を護らなければ、本丸で何か異常が起こっていたのなら確かめなければならない、そんなことを考えて。ええ、留守を任された責任を感じていたんだと思います。あっ、そうですね、責任だなんて言うのはいいわけで、ただ好奇心に駆られたのかもしれません。ちょうど縁側から庭に出られるような履き物があったのでそれをお借りしまして外に出たんです。はい、刀の身も持っていきました。夜の外は昼間とは空気の匂いが全然違って、涼しくてどこか湿った緑の匂い。今でも同じ季節になるとあの夜を思い出します。気持ちの良い匂いのはずなのに、カーン、カーン、と音がした時の不安な気持ちがぶり返してしまうんですよね。
はい、ひとりで様子を見に行くのは怖かったですけど、虎くんたちを危ない目に合わせるのも嫌ですし、主様をお一人にしてしまうのもどうかと思ったので、虎君たちに主様のことをお願いしたんです。僕ひとりでいきました。音を辿って庭を抜けるとまだ先、本丸と地続きになっている山の中から音がする。山の中を進んで音の元に近づくとだんだんと先ほどの声が聞こえてきました。山の中には草や石。自然のものがあって音を立てずに移動するのは大変でした。特にあの時は顕現したてでしたし、足の大きさに合わない履き物――今ならわかるんですが、あれはつっかけサンダルですね。それを履いていたので歩きづらくて。音の主に気取られないかとてもドキドキしていました。こう、喉のあたりの息が詰まってすごく苦しい感じです。心臓が口から飛び出るような、ってあんな感覚を言うんでしょうね。そうですね、話し声の内容なんですが、その、お話しするのは、ちょっとはばかられるような……。はい、とても怖い、悪意のこもった言葉、呪詛でした。もう声の、音の主がこの木陰のすぐ向こうにいるという所、そっと覗いてみると白装束の女性がとても立派な、大きな木の前で金槌を振り上げている所でした。
戦も、人の死も悪意も、知っているはずなのに目の前の強烈な負の感情を持つ存在の気迫に圧倒されてしまいました。それに、お恥ずかしい話なのですが、その時は本丸に人間が入ってくるわけがないと思って。その、もしかして女性の幽霊かと怖くなったんです。ぼ、僕は虎を退けたなんて言われていますが、本当に退けたわけではないですし。化物切りでも霊刀でもないので、対処の仕方もわからないし、どうしようって。この子供の体の感覚に引っ張られたのでしょうか。あまりの恐怖に身がすくんでしまって。
音の正体が確かめられたのだから、このまま白装束の女性に気づかれないうちにこのまま本丸に戻った方が良い。でもこれをこのまま放置して何かあったらどうしよう。そんな風に次の行動を決められず迷っていました。でも迷っていただけじゃなくて、その鬼気迫った様子から目が離せなくて、一瞬目を離した隙に”何か”恐ろしいが起こるんじゃないかって。どうしよう、どうしようって動けなくなっていたら、後ろでカサリ、と物音が。
急いで振り返れば虎くんが一匹、外に出て追いついてきたみたいなんです。なんだ虎君か……と安心して、時間としては一瞬だったのですが、後ろでカーンカーンと打ち付けていた音も止まりました。もう一度、さっきまで見ていたほうへ振り返ってみたら、金槌を振り上げてい白装束の女が目を剥き出してこちらを凝視していました。
時が止まったかのようにお互い制止していたんです。でも僕は虎君めがけて突進して、そのまま抱えて急いで走り出しました。そうすると一拍遅れて女も何か声を上げながら追ってくる。
もう混乱してしまって。どうしようどうしようどうしよう! ってそのことで頭がいっぱいで。来た道を戻って本丸の庭へ入り、縁側から本丸へ、主様の部屋に飛び込みました。虎君を下ろして、主様はまだぐっすりと眠っていて。やっと一息つきました。僕がついさっき見たものはただの悪夢だったんじゃないか、そう思えるくらい本丸の中は静かでした。ほっとしたところで、また何か聞こえてくる。だんだんあの女の声が近づいてくるんです。夢じゃなかったんだ! このままどこかに行ってくれないかと息を殺していました。でも、もしあのひとが本丸を見つけてしまったら? そうしてここまで追ってきたら? 主様を見つけてしまったら? 僕一人ならともかく主様に危害が加えられたら……。そうしている間にどんどん声が近づいてきて。金槌、金槌でしょうね女が持っていた。何かを打ち付けるような、鈍い音も聞こえてくる。
こうなったら僕、主様のもとへあの女がたどり着かないように、どうにかしようって決めたんです。
じっと縁側で音が近づいてくるのを待ちました。庭に入ってきて僕を見つけて、何か、言葉もはっきりしなくて何を言っているのかわからなかったのですが、とにかく大きな声で何かをわめきながら縁側に上がってきて。その人土足だったんですね。床が泥で汚れちゃうなって。相手が何者かわからなくて、もし主様を守り切れなかったらどうしようって。そんな風に不安だったのに、心のどこかは冷静で相手を観察していました。そうして近づいてきて女がつかみかかろうと手を伸ばしてきたギリギリまで引きつけて。その手をすり抜けるように交わしました。でも女とは離れずに。けれど手の届かないくらいの距離で。引きつけて、そうして主様の部屋とは反対の方向に。できるだけ遠ざけるようにしながら逃げていきました。
最初はそれでうまくいっていたんです。この調子でうまく引きつけられるって僕も油断したんですね。しばらく逃げていると女が追ってこない。あの恐ろしい声も聞こえない。離れすぎたのか、まさか主様の元に向かって? 急いで女を探しました。来た道を戻り、部屋を覗いて。そうしているとどこからかまた恐ろしい叫び声を上げながらどこかからか女が飛び出してくるんです。そうやって逃げているとだんだん外が明るくなってきました。外からガヤガヤと声も聞こえてきて、はい。遠征に出ていた皆さんが帰ってきたんです! 異変に気づいた皆さんが急いでやってきて。白装束の女を捕まえてくれて。こんのすけを呼び出して処理してもらって、そうしていたら主様が起きてきて。自分が寝ている間に何が起こったんだって、その驚いた顔を見て、今度こそやっと、本当に一息つけました。
はい、もうどうして気づかなかったんだろうって今から考えると不思議で情けないんですけど、幽霊なんかじゃなかったんですよね。はい、現代の人間だったんです。山の中に丑の刻参りに来たって。それに、女を主様に近寄らせないようにするなら本丸に戻らず敷地の外にいたらよかったんですよね。混乱していたのかそこまで思いつかなかったんですけど。本丸の中がドロドロにぐちゃぐちゃじゃないかって、怒られちゃいました。でも、へへっ、一晩たった一人でよく頑張ったって、皆さん褒めてくれました。
はい、僕たちの本丸は現世に拠点を構える形態の本丸だったんです。人里離れた土地で周囲には人払いの結界を張った。普通だったらそんなことまず無いはずなんですけど結界がうまく効いていなかったみたいで。現世の人間が本丸の近くまで入り込んでしまったんですね。一応こんのすけに結界を張り直してもらったんですがね。はい、その、どういうわけだか僕たちの本丸は度々この結界が弱まって現世の人間が入ってきてしまうんです。今でも。その、丑の刻参りの有名なす、すぽっと? 名所? になっているとか。一般の方に入ってこられると困るのですが。え? そうですね、困るけど平気ですよ。幽霊じゃなくてただのひとですからね、人間でしたら僕でも切ることができますからね。怖くないですよ。
でもひとを切ることはありません。本丸に入ってきてしまったひとは政府の方がちゃんと連れて行って、もうここには来ないようにしてくれるので。
審神者増加活動に貢献した五虎退が語った話