「歌仙でもそんな雅じゃないことするんですね」
景諏春の庭、うららかな午後。事務仕事も一段落つき穏やかな陽気に誘われて今日の近侍である歌仙兼定がぼんやりしていた時にかけられた言葉だった。
らしくないねと審神者は自分の頭の横へ握りこんだこぶしを持ちあげ、小指一本を伸ばしたまま差し込んだ、耳の穴に。
それはまったく鏡合わせのようにいま歌仙兼定がとっている姿勢と同じであった。
刀はあっと慌てて手を引っ込めてなんだかもごもごしはじめた。いつも行儀作法やらなんやらと注意する刀のこんな様子は初めてで、普段何かと注意されている側の審神者からすると何ともおもしろいものだった。
「ううんっ、ごほん! 行儀がわるかったね、次から気をつけるよ」と赤くした耳で答える刀。
「どうしたの? 耳でもかゆいんですか?」
「いやいや、べつにそんなことはないよ。きみは気にしなくていいんだよ」
「無意識に掻いちゃうくらい痒いんでしょう? 大丈夫?」
「いくら神様とは言え刀剣男士もご飯食べて排泄してるんだから、耳に老廃物くらい溜まりますよね」
「そういう風情のない言い方をしなくても、」
「そういえば、みんな耳掃除ってどうしてるんですか? 今まで耳かきなんて支給したことなかったですよね。えっ顕現してから一度もしたことがない!?」
えー! どひゃーっ?! と何がそんなにおどろきなのか、目の前の主に大袈裟に指摘されてみると刀の耳は確かに痒い。そうやって意識するとなんとなく耳の奥で何かがカサコソカサコソしはじめたような気もする。刀剣男士は顕現した時に人の形で生きていく上で必要な一般常識備え付けられているが最初からある知識だけでは自然に生活するにはいささか足りない部分もある。不足していたこまごまとした知恵も審神者からある程度教えられて今では普通の人間とほとんど同じ感覚で生活できるくらいには常識や生きる上での作法を身につけていた。けれどもそんな中”耳掃除”という行為は生きていく上で絶対に必要なものでもなかったためか、存在自体はうっすらと知っていたが、今までしようと思ったことも、そもそも自分に必要なことだと意識すらもしたことがなかった。
最初はこれまでの意趣返しとばかりに近侍の無作法をからかってやろうという雰囲気だった審神者も今まで耳掃除をしたことがないという刀の反応には眉をひそめた。ごそごそと引き出しを漁り何かを取り出す。片側に白い房がつき、反対側は小さな匙のようになっている竹の棒、多くの人がそれと想像するであろうごく一般的な耳かきであった。
「耳掃除しましょう、今すぐ」
「ああ、これが耳かきか。現物を見るのは初めてだ。うん、ありがとう。つかってみるよ。でもまぁすぐにだなんてそんなに急ぐことではないんじゃないかな」
受け取ろうと伸ばした手が空をつかむ。審神者が手にした耳かきを引っ込めたのだ。
「ちがいます。私があなたの耳を掃除するんです」
「きみが?! ぼくの耳を耳掃除するって!?」
え~っ!? という絶叫が長閑な本丸に響いた。
さて耳掃除といえば、
膝枕である。
ドラマや映画、小説に漫画。現世に顕現して、それなりに娯楽や文化に触れてきたこの本丸の(ややミーハーな)歌仙兼定には大抵の人間がそうであるように『耳掃除といえば膝枕してするものだ』という概念が備わっていた。
大事なことなのでもう一度言わせてもらおう、耳掃除といえば膝枕である。
膝枕とは一般的に正座した人間の膝に頭をのせて枕にするから膝枕、という名前なわけだが、実際のところ頭が乗るのは膝ではなく太ももだ。太もも――しかも女性の――といえば極めて私的な部分であり他人にみだりに触れさせてはいけない部位であろう。そのような太ももに触れる行為である膝枕はただ少々風紀上よろしくない雰囲気を想像す者もいるに違いない。膝枕を伴う耳掃除も同様だ。それこそ二〇〇年前の、二十一世紀にはそういったちょっとばかしいかがわしい、膝枕で耳掃除といった接客行為(耳掃除というよりもそれをダシにした女性との触れ合い)を提供する店もあったそうな。
実際のところ具体的にそんな描写がある作品に触れた経験はないはずなのだが、はたまたかつての主がそんなことをしたりされたりしていた様子を覚えているのか、どういうわけだかわからないが耳掃除なんて行為は極々親しい間柄、それこそ夫婦や恋びとの間で行われるものだと、この本丸の(ややミーハーな)歌仙兼定は考えているのであった。
「きみが僕に耳掃除をするだって?! 破廉恥な!! いくら僕の本性が刀剣だからといって成人男性の姿でこうして顕現している今、妙齢の女性である君が僕に耳掃除だなんて行為を許してはいけないぞ! それだけじゃない! 主人である審神者に耳の穴という不潔な部分を掃除させるとは……キミはぼくの主であって妻や従者ではないのだから、いくら主自らの申し出であってもそんなことはさせられない!」
「歌仙兼定、耳掃除くらいで何をそんなに嫌がっているんですか? あなた耳掃除したこがないんでしょう? どんな力加減で耳掃除したらいいのかわかるんですか? たいていの人間は幼いうちに親から耳掃除をしてもらってある程度成長してどんな具合にやったらよいかわかるようになって、自分で耳掃除するようになるものですよ。あなた人の形になってまだ半年ほどでしょう?」
審神者、ハァと呆れ顔。
「耳なんて自分でもさほど触れない部位を人に触られるのは抵抗があるのかもしれませんが、一回くらいくらい私に耳掃除させてくださいな。耳掃除が嫌なわけではないんでしょう?」
「いやしかし、あれだろう? 耳掃除というと膝枕とやらをしないといけないだろう?」
「はぁ!? 破廉恥ってそういう意味で言っていたんですか!? 何を言っているのかと思えば・・・・・・膝枕なんてしませんよ」
「えっ、膝枕しないのかい?」
「あなたが問題視しているのはイイ歳こいた女である私が交際相手でも何でもない成人男性のなりをしているあなたに膝枕をすることでしょう! そもそも耳掃除に膝枕なんて必要ないから問題ありません!」
「そうか……、しないのか」
「しませんってっば!」
「あんなに文句言っていたのにどうして急にしょぼくれているんですか! 第一膝枕をしていたら動き回れないでしょう」
「動き回る? どうして耳掃除で動き回る必要があるんだい!?」
「問答無用! おとなしく耳掃除されなさい」
歌仙と問答しながらも審神者は押入れから適当な座布団を引っ張りだした。
明るいところのほうがよい、と強引に歌仙が連れられてきたのは西向きの縁側。日差しが強くて少々まぶしい。
「ささ、ここに横になってくださいな」
持ってきた座布団を二つに折ってぽんぽんと示す。
この審神者、今この場面だけ切り取るとなんとも苛烈な性質の人間に見えるかもしれないが普段どちらかというとおとなしく、優しい主人なのである。ここまで強硬な姿勢を見せるのは珍しい。恥ずかしいやらなんやらで主からの耳掃除を固辞していた近侍のほうも審神者の滅多にない強固な姿勢に流石に折れた。恭順の意を示して主人の前に横になる。
やはり膝枕はなかった。
さて刀の目の前に広がる春の庭。少々行儀が悪い姿勢だが、こうして春の陽気を感じながら横になるなんて本来だったら心も身体も休まるだろうに、緊張からか照れからかはたまた後ろの主人の剣呑な様子からか、いささか不穏な空気が漂っていて正直にいうと疲れる。
審神者は審神者で耳穴を覗くのに具合の良い位置を探しているようだった。のどかな光景が広がった前面とは逆に背後から不穏な振動が伝わってくる。動き回るとはこういうことだったのか、髪が踏まれそうだな、だなんて考えている間にやっと審神者は腰を落ち着けた。
今度はにゅっと背後から手が伸びてきて、歌仙の掌を握った。
「手はここ」
「足はもうちょっと内側にたたんで」
「ちょっと失礼」
皮の硬くなった自分の掌に触れる、主人の掌のなんと柔らいことか! そえられる指はしっとりとしていて歌仙の手にぴったりと吸い付くようだ。小さくてやわい手。簡単に押し返せる弱い握力。
掌を鼻先へ、腰と足を押して移動させる。膝を抱えたような緩く丸くなったような態勢を取らされる。
つま先でこめかみから流れる髪を耳の後ろによける。自分の髪であるはずなのに己の意思によらない動きは頭上の主の存在を、その距離の近さを強く主張している。
視界が陰る。前のめりにじっと耳の穴を覗く視線は質量が伴っているかのように熱く、重い。
これほど真剣に見つめられたことは顕現してから今まであっただろうか? 主人に耳掃除させるなんて行為には抵抗があったが案外良いものかもしれない。
妙にこそばゆくて、気恥ずかしくて、歌仙は視線を下げて縁側の板目を数え始め、
「あ! すごい! ばっちぃ!!」
「ばっちぃとはなんだ!?」
雰囲気ぶち壊しである。
「はー、細かい耳垢がたくさんありますよ。さすが顕現してから一度も耳掃除していないだけある」
「耳穴の状態をわざわざ口に出さなくていいよ、恥ずかしい」
「たまには耳掃除したほうがいいですよー」
「っん」
しなくても死にませんけど、ぐいと耳たぶを引っ張る。細長いものが侵入してくる。耳かきだ。まだ皮膚に触れていないはずなのにザワザワと砂の動きのような草がそよぐような小さな音が穴の中に大きく響く。鳥肌が耳の入り口から、顔を、首を伝って波打って全身に広がっていくようだ。無遠慮に、今、自分の中に異物が侵入してきている。
ハァっ
耳元ではりつめた審神者の熱い吐息が頬に触れる。匙の部分で浅いところを軽く掻く。
鳥肌がうなじから背中へ駆け抜ける。
おもわず肘をついて体を上げそうになるが、
「危ないから動かない」
肩を強くおさえられ、浮きかけた体を渋々と戻す。耳掃除はすぐに再開された。くるぅりと耳の入口に沿って一回転。そのままサスサス、コスコスと最初に比べるといくらか用心深く、しかし軽快に少し奥を擦る。審神者の手の動きに合わせて痒いようなくすぐったいような、なぜだか我慢できない感覚が全身を駆け巡る。そのさざめきはうなじから背筋に抜けて下腹部でねじれ、うごめく。
「ほら、入り口だけでも結構取れましたよ」
耳かきが入口から離れてスッと目の前に差し出された。審神者の手が止まったことにより体を駆ける不可解な感覚がやっと少し静まる。
確かに匙の部分には薄黄色の細かいかすがたんまりと乗っていた。少し身を乗り出した審神者は空いている手で歌仙の掌をつかみ、匙の部分をすりつける。
「耳かすを掌になすりつけるだなんてどうなんだ、汚いじゃないか」
「最後に屑籠の上で手を払って、よく洗えばいいでしょう! 耳かきから耳かすをとるのって案外面倒くさいんですよ」
そう言って掌の筋や凹凸に沿って耳かきを上下させる。掌に走る掻痒感は不快ではなく腹の底がざわつくような快感が沸き上がる。掌で耳かすをおとすと穴のほうへ戻る。外耳道の曲がり角を先ほどより強い力で数度引っかく。
「んんっ、ぐぅ」
「そうだ、共用の耳かきを何本か購入してみんなにも使ってもらいましょう」
さもよいことを思いついた、といった声に合わせて審神者の手も調子良く耳をほじくっている。反対に刀の方は体の奥底から湧き上がるむず痒さに耐えられなくなり再度体を持ち上げるが、
「動かない! 慣れない感覚に無意識に動いてしまうのはわかりますが我慢してください!」
審神者はぐいとのしかかり、持ちあがった肩を押し戻す。そうして肩に押し付けられた柔らかな感触に刀の体が硬直する。これはいけないと身をよじるが、審神者はその動きも止めようとさらにぐいぐいと押さえつけてくるのだ。そのたびにまろやかな弾力が肩に、いや、肩が柔らかな塊に食い込む。それを避けようと縮こまると、今度は丸めた背中をもう一方の丸みに押し付けるような形になってしまう。いけない、これはいけない。
片手に耳かき、反対の手は耳たぶを引っ張っているための苦肉の策だろう。
「もういい、もういいから」
「もしかして痛いですか?」
「痛くはないが……変な感じがしてっ」
「たしかに、耳掃除してる時の感じって他の部位ではなかなかない感覚だから最初は変な感じしますよね」
私も最初のうちは嫌がったって母が言っていたな~のんきな声が頭上から響く。
「でも大丈夫! 慣れれば気持ち良くなります」
「慣れるほどやるのかい!?」
「すっごく気持ち良いんですよ! 小さい頃はお母さんにねだって耳掃除してもらったな~あんまり気持ちよくって、そのまま眠ってしまったり」
お父さんの耳掃除はちょっとガサツで痛かったな~
「だからね、歌仙。私はこうしてあなたのことを労いたいんですよ」
「あるじ……」
「いつも私を支えてくれてありがとうございます。あなたの疲れをこうして耳掃除で晴らせたら私も嬉しいです」
ちらと横目で見上げると、ニコニコと優しい笑みが――いや、ニヤニヤ顔と目があった。
「きみ、ほんとは耳掃除したいだけなんだろう?」
「いやいや、そんなことありませんよ?」
「もういい! 耳掃除くらい自分でできる!」
「労いたいのは本当ですってば! 耳掃除くらいさせてくださいよ~~~」
「しつこいぞ! いい加減……」
「なんだキミたちおもしろいことをやっているじゃないか!」
第三者の登場に口論が止まる
「こいつぁ驚きだ! 主が歌仙の耳に棒が突っ込んでる! いったいなんだってんだ! いや待て! ハハァ、これが噂に聞く耳掃除ってやつか!! それで膝枕ってやつはしないでいいのか!?」
桜吹雪の中に消え入りそうな儚い容姿に似合わぬがに股でズカズカと寄ってくる白い姿――鶴丸国永である。
アアーッ! しまった! よりによってとんでもない刀に見られてしまった。いや、やましいことも恥ずかしいこともなにもないのだがどういうわけだか無性に恥ずかしい! このお人好しで押しの弱い主人のことだどうせのどかに談笑でも始めてしまうのだ! などと刀は顔を赤くしたり青くしたりしているうちにどんどん鶴丸国長は近寄ってくる。
「鶴さんはあっち行ってください」
間
「鶴さんはあっち行ってくださいってば、あなたみたいに騒がしい刀にうろうろされては手元が狂って鼓膜を貫いてしまいます。危ないから、ほら」
歌仙の位置からは審神者の顔はうかがえない。しかし心底うっとうしいという声音に、しっしっと手振りで追い払う。
重ね重ね言うがこの審神者、普段は大人しくて人の良い主人なのである。そんな主人の辛辣な言葉に二振りの刀はしばらく言葉を発することができなかった。
「こいつは失礼した。邪魔して悪かったなお二人さん、あは、あはははははは……」
とぼとぼと去る鶴丸。その様子は少々かわいそうだったが耳掃除の様子をもう観察されないことに歌仙は安堵した。が、しかし鼓膜を貫くかもしれない?
刀剣男士として顕現し、歴史修正主義者と戦っている身だ。切り傷刺し傷、常日頃から大小さまざまな怪我をしている。ましてや自分は審神者による手入れで普通だったら治療しようのない傷ですら回復するのだ。どんな痛みも恐れることはない。いや、なかった。鼓膜を貫くとはどのような痛みだろう。傷だろうか。想像のつかない痛み、そしてそれ以上にその痛みをもたらすのが最も信頼する主人であろうことに少しゾッとする。
「痒みはとれたし、もうしまいでいいよ。たすかったよ、主」
鶴丸の対応から主人が体を離した隙になんとか逃げ出したい刀。
「いやいやちょっと待ってください奥のほうに大きな耳垢がありそうな感じなんですよ」
「いやいや本当にもういい手勘弁してくれ、痛いって!!」
「動くなー!! 静かにいい――っ!!」
耳たぶを握る手に力が籠められ座布団の上に頭を引っ張り戻される。先ほどまでよりずっと奥の、頭の中をほじくられる。痛みとも快感ともつかない感触が駆け巡る。
「あ、あっ、あ~~~ッ」
「とれたー!!」
「見て! こんなに大きい耳垢がたたっぷりとれましたよ!!」
差し出された耳かきの先には確かに先に掻き出された耳垢より大きな塊と、先にちょっぴりと赤い滴――血が乗っていた。
耳の奥がじわじわと傷む。鼓膜を貫くほどの大ごとにはならなかったし普段の傷に比べればたいしたことのない痛みだ。しかし手が届かない、手当てしようがないことがもどかしい。
「満足したろう主! もう結構だ!! 僕は行かせてもらうぞ!!」
「待ってください! 反対も掃除させてください!! 先っぽ!! 先っぽだけでいいから~~っ」
「もういい加減にしてくれー!!」
気持ちいいとか耳がさっぱりしたとかよりも緊張したり慌てふためく恥ずかしい姿を見られて散々だったと思う刀であった。もう主に耳掃除なんて任せないし、あんなに体が近くに触れるだなんて主がほかの刀に耳掃除することも阻止しなくては! 耳かきを握りしめる主人から逃げながら歌仙は固く心に誓うのだった。しかしながらこの本丸では今後、審神者に耳掃除してもらう♥というご褒美が大流行してしまうのであった。
景諏春の庭、うららかな午後。事務仕事も一段落つき穏やかな陽気に誘われて今日の近侍である歌仙兼定がぼんやりしていた時にかけられた言葉だった。
らしくないねと審神者は自分の頭の横へ握りこんだこぶしを持ちあげ、小指一本を伸ばしたまま差し込んだ、耳の穴に。
それはまったく鏡合わせのようにいま歌仙兼定がとっている姿勢と同じであった。
刀はあっと慌てて手を引っ込めてなんだかもごもごしはじめた。いつも行儀作法やらなんやらと注意する刀のこんな様子は初めてで、普段何かと注意されている側の審神者からすると何ともおもしろいものだった。
「ううんっ、ごほん! 行儀がわるかったね、次から気をつけるよ」と赤くした耳で答える刀。
「どうしたの? 耳でもかゆいんですか?」
「いやいや、べつにそんなことはないよ。きみは気にしなくていいんだよ」
「無意識に掻いちゃうくらい痒いんでしょう? 大丈夫?」
「いくら神様とは言え刀剣男士もご飯食べて排泄してるんだから、耳に老廃物くらい溜まりますよね」
「そういう風情のない言い方をしなくても、」
「そういえば、みんな耳掃除ってどうしてるんですか? 今まで耳かきなんて支給したことなかったですよね。えっ顕現してから一度もしたことがない!?」
えー! どひゃーっ?! と何がそんなにおどろきなのか、目の前の主に大袈裟に指摘されてみると刀の耳は確かに痒い。そうやって意識するとなんとなく耳の奥で何かがカサコソカサコソしはじめたような気もする。刀剣男士は顕現した時に人の形で生きていく上で必要な一般常識備え付けられているが最初からある知識だけでは自然に生活するにはいささか足りない部分もある。不足していたこまごまとした知恵も審神者からある程度教えられて今では普通の人間とほとんど同じ感覚で生活できるくらいには常識や生きる上での作法を身につけていた。けれどもそんな中”耳掃除”という行為は生きていく上で絶対に必要なものでもなかったためか、存在自体はうっすらと知っていたが、今までしようと思ったことも、そもそも自分に必要なことだと意識すらもしたことがなかった。
最初はこれまでの意趣返しとばかりに近侍の無作法をからかってやろうという雰囲気だった審神者も今まで耳掃除をしたことがないという刀の反応には眉をひそめた。ごそごそと引き出しを漁り何かを取り出す。片側に白い房がつき、反対側は小さな匙のようになっている竹の棒、多くの人がそれと想像するであろうごく一般的な耳かきであった。
「耳掃除しましょう、今すぐ」
「ああ、これが耳かきか。現物を見るのは初めてだ。うん、ありがとう。つかってみるよ。でもまぁすぐにだなんてそんなに急ぐことではないんじゃないかな」
受け取ろうと伸ばした手が空をつかむ。審神者が手にした耳かきを引っ込めたのだ。
「ちがいます。私があなたの耳を掃除するんです」
「きみが?! ぼくの耳を耳掃除するって!?」
え~っ!? という絶叫が長閑な本丸に響いた。
さて耳掃除といえば、
膝枕である。
ドラマや映画、小説に漫画。現世に顕現して、それなりに娯楽や文化に触れてきたこの本丸の(ややミーハーな)歌仙兼定には大抵の人間がそうであるように『耳掃除といえば膝枕してするものだ』という概念が備わっていた。
大事なことなのでもう一度言わせてもらおう、耳掃除といえば膝枕である。
膝枕とは一般的に正座した人間の膝に頭をのせて枕にするから膝枕、という名前なわけだが、実際のところ頭が乗るのは膝ではなく太ももだ。太もも――しかも女性の――といえば極めて私的な部分であり他人にみだりに触れさせてはいけない部位であろう。そのような太ももに触れる行為である膝枕はただ少々風紀上よろしくない雰囲気を想像す者もいるに違いない。膝枕を伴う耳掃除も同様だ。それこそ二〇〇年前の、二十一世紀にはそういったちょっとばかしいかがわしい、膝枕で耳掃除といった接客行為(耳掃除というよりもそれをダシにした女性との触れ合い)を提供する店もあったそうな。
実際のところ具体的にそんな描写がある作品に触れた経験はないはずなのだが、はたまたかつての主がそんなことをしたりされたりしていた様子を覚えているのか、どういうわけだかわからないが耳掃除なんて行為は極々親しい間柄、それこそ夫婦や恋びとの間で行われるものだと、この本丸の(ややミーハーな)歌仙兼定は考えているのであった。
「きみが僕に耳掃除をするだって?! 破廉恥な!! いくら僕の本性が刀剣だからといって成人男性の姿でこうして顕現している今、妙齢の女性である君が僕に耳掃除だなんて行為を許してはいけないぞ! それだけじゃない! 主人である審神者に耳の穴という不潔な部分を掃除させるとは……キミはぼくの主であって妻や従者ではないのだから、いくら主自らの申し出であってもそんなことはさせられない!」
「歌仙兼定、耳掃除くらいで何をそんなに嫌がっているんですか? あなた耳掃除したこがないんでしょう? どんな力加減で耳掃除したらいいのかわかるんですか? たいていの人間は幼いうちに親から耳掃除をしてもらってある程度成長してどんな具合にやったらよいかわかるようになって、自分で耳掃除するようになるものですよ。あなた人の形になってまだ半年ほどでしょう?」
審神者、ハァと呆れ顔。
「耳なんて自分でもさほど触れない部位を人に触られるのは抵抗があるのかもしれませんが、一回くらいくらい私に耳掃除させてくださいな。耳掃除が嫌なわけではないんでしょう?」
「いやしかし、あれだろう? 耳掃除というと膝枕とやらをしないといけないだろう?」
「はぁ!? 破廉恥ってそういう意味で言っていたんですか!? 何を言っているのかと思えば・・・・・・膝枕なんてしませんよ」
「えっ、膝枕しないのかい?」
「あなたが問題視しているのはイイ歳こいた女である私が交際相手でも何でもない成人男性のなりをしているあなたに膝枕をすることでしょう! そもそも耳掃除に膝枕なんて必要ないから問題ありません!」
「そうか……、しないのか」
「しませんってっば!」
「あんなに文句言っていたのにどうして急にしょぼくれているんですか! 第一膝枕をしていたら動き回れないでしょう」
「動き回る? どうして耳掃除で動き回る必要があるんだい!?」
「問答無用! おとなしく耳掃除されなさい」
歌仙と問答しながらも審神者は押入れから適当な座布団を引っ張りだした。
明るいところのほうがよい、と強引に歌仙が連れられてきたのは西向きの縁側。日差しが強くて少々まぶしい。
「ささ、ここに横になってくださいな」
持ってきた座布団を二つに折ってぽんぽんと示す。
この審神者、今この場面だけ切り取るとなんとも苛烈な性質の人間に見えるかもしれないが普段どちらかというとおとなしく、優しい主人なのである。ここまで強硬な姿勢を見せるのは珍しい。恥ずかしいやらなんやらで主からの耳掃除を固辞していた近侍のほうも審神者の滅多にない強固な姿勢に流石に折れた。恭順の意を示して主人の前に横になる。
やはり膝枕はなかった。
さて刀の目の前に広がる春の庭。少々行儀が悪い姿勢だが、こうして春の陽気を感じながら横になるなんて本来だったら心も身体も休まるだろうに、緊張からか照れからかはたまた後ろの主人の剣呑な様子からか、いささか不穏な空気が漂っていて正直にいうと疲れる。
審神者は審神者で耳穴を覗くのに具合の良い位置を探しているようだった。のどかな光景が広がった前面とは逆に背後から不穏な振動が伝わってくる。動き回るとはこういうことだったのか、髪が踏まれそうだな、だなんて考えている間にやっと審神者は腰を落ち着けた。
今度はにゅっと背後から手が伸びてきて、歌仙の掌を握った。
「手はここ」
「足はもうちょっと内側にたたんで」
「ちょっと失礼」
皮の硬くなった自分の掌に触れる、主人の掌のなんと柔らいことか! そえられる指はしっとりとしていて歌仙の手にぴったりと吸い付くようだ。小さくてやわい手。簡単に押し返せる弱い握力。
掌を鼻先へ、腰と足を押して移動させる。膝を抱えたような緩く丸くなったような態勢を取らされる。
つま先でこめかみから流れる髪を耳の後ろによける。自分の髪であるはずなのに己の意思によらない動きは頭上の主の存在を、その距離の近さを強く主張している。
視界が陰る。前のめりにじっと耳の穴を覗く視線は質量が伴っているかのように熱く、重い。
これほど真剣に見つめられたことは顕現してから今まであっただろうか? 主人に耳掃除させるなんて行為には抵抗があったが案外良いものかもしれない。
妙にこそばゆくて、気恥ずかしくて、歌仙は視線を下げて縁側の板目を数え始め、
「あ! すごい! ばっちぃ!!」
「ばっちぃとはなんだ!?」
雰囲気ぶち壊しである。
「はー、細かい耳垢がたくさんありますよ。さすが顕現してから一度も耳掃除していないだけある」
「耳穴の状態をわざわざ口に出さなくていいよ、恥ずかしい」
「たまには耳掃除したほうがいいですよー」
「っん」
しなくても死にませんけど、ぐいと耳たぶを引っ張る。細長いものが侵入してくる。耳かきだ。まだ皮膚に触れていないはずなのにザワザワと砂の動きのような草がそよぐような小さな音が穴の中に大きく響く。鳥肌が耳の入り口から、顔を、首を伝って波打って全身に広がっていくようだ。無遠慮に、今、自分の中に異物が侵入してきている。
ハァっ
耳元ではりつめた審神者の熱い吐息が頬に触れる。匙の部分で浅いところを軽く掻く。
鳥肌がうなじから背中へ駆け抜ける。
おもわず肘をついて体を上げそうになるが、
「危ないから動かない」
肩を強くおさえられ、浮きかけた体を渋々と戻す。耳掃除はすぐに再開された。くるぅりと耳の入口に沿って一回転。そのままサスサス、コスコスと最初に比べるといくらか用心深く、しかし軽快に少し奥を擦る。審神者の手の動きに合わせて痒いようなくすぐったいような、なぜだか我慢できない感覚が全身を駆け巡る。そのさざめきはうなじから背筋に抜けて下腹部でねじれ、うごめく。
「ほら、入り口だけでも結構取れましたよ」
耳かきが入口から離れてスッと目の前に差し出された。審神者の手が止まったことにより体を駆ける不可解な感覚がやっと少し静まる。
確かに匙の部分には薄黄色の細かいかすがたんまりと乗っていた。少し身を乗り出した審神者は空いている手で歌仙の掌をつかみ、匙の部分をすりつける。
「耳かすを掌になすりつけるだなんてどうなんだ、汚いじゃないか」
「最後に屑籠の上で手を払って、よく洗えばいいでしょう! 耳かきから耳かすをとるのって案外面倒くさいんですよ」
そう言って掌の筋や凹凸に沿って耳かきを上下させる。掌に走る掻痒感は不快ではなく腹の底がざわつくような快感が沸き上がる。掌で耳かすをおとすと穴のほうへ戻る。外耳道の曲がり角を先ほどより強い力で数度引っかく。
「んんっ、ぐぅ」
「そうだ、共用の耳かきを何本か購入してみんなにも使ってもらいましょう」
さもよいことを思いついた、といった声に合わせて審神者の手も調子良く耳をほじくっている。反対に刀の方は体の奥底から湧き上がるむず痒さに耐えられなくなり再度体を持ち上げるが、
「動かない! 慣れない感覚に無意識に動いてしまうのはわかりますが我慢してください!」
審神者はぐいとのしかかり、持ちあがった肩を押し戻す。そうして肩に押し付けられた柔らかな感触に刀の体が硬直する。これはいけないと身をよじるが、審神者はその動きも止めようとさらにぐいぐいと押さえつけてくるのだ。そのたびにまろやかな弾力が肩に、いや、肩が柔らかな塊に食い込む。それを避けようと縮こまると、今度は丸めた背中をもう一方の丸みに押し付けるような形になってしまう。いけない、これはいけない。
片手に耳かき、反対の手は耳たぶを引っ張っているための苦肉の策だろう。
「もういい、もういいから」
「もしかして痛いですか?」
「痛くはないが……変な感じがしてっ」
「たしかに、耳掃除してる時の感じって他の部位ではなかなかない感覚だから最初は変な感じしますよね」
私も最初のうちは嫌がったって母が言っていたな~のんきな声が頭上から響く。
「でも大丈夫! 慣れれば気持ち良くなります」
「慣れるほどやるのかい!?」
「すっごく気持ち良いんですよ! 小さい頃はお母さんにねだって耳掃除してもらったな~あんまり気持ちよくって、そのまま眠ってしまったり」
お父さんの耳掃除はちょっとガサツで痛かったな~
「だからね、歌仙。私はこうしてあなたのことを労いたいんですよ」
「あるじ……」
「いつも私を支えてくれてありがとうございます。あなたの疲れをこうして耳掃除で晴らせたら私も嬉しいです」
ちらと横目で見上げると、ニコニコと優しい笑みが――いや、ニヤニヤ顔と目があった。
「きみ、ほんとは耳掃除したいだけなんだろう?」
「いやいや、そんなことありませんよ?」
「もういい! 耳掃除くらい自分でできる!」
「労いたいのは本当ですってば! 耳掃除くらいさせてくださいよ~~~」
「しつこいぞ! いい加減……」
「なんだキミたちおもしろいことをやっているじゃないか!」
第三者の登場に口論が止まる
「こいつぁ驚きだ! 主が歌仙の耳に棒が突っ込んでる! いったいなんだってんだ! いや待て! ハハァ、これが噂に聞く耳掃除ってやつか!! それで膝枕ってやつはしないでいいのか!?」
桜吹雪の中に消え入りそうな儚い容姿に似合わぬがに股でズカズカと寄ってくる白い姿――鶴丸国永である。
アアーッ! しまった! よりによってとんでもない刀に見られてしまった。いや、やましいことも恥ずかしいこともなにもないのだがどういうわけだか無性に恥ずかしい! このお人好しで押しの弱い主人のことだどうせのどかに談笑でも始めてしまうのだ! などと刀は顔を赤くしたり青くしたりしているうちにどんどん鶴丸国長は近寄ってくる。
「鶴さんはあっち行ってください」
間
「鶴さんはあっち行ってくださいってば、あなたみたいに騒がしい刀にうろうろされては手元が狂って鼓膜を貫いてしまいます。危ないから、ほら」
歌仙の位置からは審神者の顔はうかがえない。しかし心底うっとうしいという声音に、しっしっと手振りで追い払う。
重ね重ね言うがこの審神者、普段は大人しくて人の良い主人なのである。そんな主人の辛辣な言葉に二振りの刀はしばらく言葉を発することができなかった。
「こいつは失礼した。邪魔して悪かったなお二人さん、あは、あはははははは……」
とぼとぼと去る鶴丸。その様子は少々かわいそうだったが耳掃除の様子をもう観察されないことに歌仙は安堵した。が、しかし鼓膜を貫くかもしれない?
刀剣男士として顕現し、歴史修正主義者と戦っている身だ。切り傷刺し傷、常日頃から大小さまざまな怪我をしている。ましてや自分は審神者による手入れで普通だったら治療しようのない傷ですら回復するのだ。どんな痛みも恐れることはない。いや、なかった。鼓膜を貫くとはどのような痛みだろう。傷だろうか。想像のつかない痛み、そしてそれ以上にその痛みをもたらすのが最も信頼する主人であろうことに少しゾッとする。
「痒みはとれたし、もうしまいでいいよ。たすかったよ、主」
鶴丸の対応から主人が体を離した隙になんとか逃げ出したい刀。
「いやいやちょっと待ってください奥のほうに大きな耳垢がありそうな感じなんですよ」
「いやいや本当にもういい手勘弁してくれ、痛いって!!」
「動くなー!! 静かにいい――っ!!」
耳たぶを握る手に力が籠められ座布団の上に頭を引っ張り戻される。先ほどまでよりずっと奥の、頭の中をほじくられる。痛みとも快感ともつかない感触が駆け巡る。
「あ、あっ、あ~~~ッ」
「とれたー!!」
「見て! こんなに大きい耳垢がたたっぷりとれましたよ!!」
差し出された耳かきの先には確かに先に掻き出された耳垢より大きな塊と、先にちょっぴりと赤い滴――血が乗っていた。
耳の奥がじわじわと傷む。鼓膜を貫くほどの大ごとにはならなかったし普段の傷に比べればたいしたことのない痛みだ。しかし手が届かない、手当てしようがないことがもどかしい。
「満足したろう主! もう結構だ!! 僕は行かせてもらうぞ!!」
「待ってください! 反対も掃除させてください!! 先っぽ!! 先っぽだけでいいから~~っ」
「もういい加減にしてくれー!!」
気持ちいいとか耳がさっぱりしたとかよりも緊張したり慌てふためく恥ずかしい姿を見られて散々だったと思う刀であった。もう主に耳掃除なんて任せないし、あんなに体が近くに触れるだなんて主がほかの刀に耳掃除することも阻止しなくては! 耳かきを握りしめる主人から逃げながら歌仙は固く心に誓うのだった。しかしながらこの本丸では今後、審神者に耳掃除してもらう♥というご褒美が大流行してしまうのであった。