「まずった。ずいぶん引き離されちまったべ」
日も暮れて薄暗くなった今、目の前の長い石段を見下ろしても先を行く少女の姿は見つからなかった。スグリの傍らでオオタチも尾で立ち上がって遠くまで見渡している。
いくら自分から離れてついて行くと言ったとはいえ完全に見失ってしまうのも良くない。オモテ祭に行く準備をするのにアオイを家まで連れて行かなくてはいけないのだから。スマホロトムで目的地に登録済みとはいえ、行き先は自分の家だ。家に着いたところでは合流している状態が望ましい。友達――いや知人の家とはいえ一人では入りづかろう。
先を進む少女に早く追いつこうと、石段を駆け下りる。短い手足で上手にオオタチは先行する。石段の下の広場を過ぎれば、右手の竹林と岩場を抜けるか、そのまま真っ直ぐ坂を下るか。少し迷ってオオタチを見やれば、彼は真っ直ぐと正面の坂道を見据えていた。
「いけるか? オオタチ?」
傷の回復は済んでいるとはいえ、ついさっきアオイと恐れ穴の前でバトルを終えたばかりだ。疲労も溜まっているかもしれない。オオタチはその場でクルリと一回転した後、元気よく鳴き声を上げる。まるで自分はまだまだいけるぞ! と示すように。
「ん、あんがとな。それじゃ、アオイに追いつくまでもうちっと特訓じゃ」
一人と一匹は共に駆け出す。ロコンやヘラクロスといった行く道を立ちふさぐ野生のポケモンたちを倒しながら進んでいく。先にいるであろう少女、彼女は強い。この林間学校の間で彼女に勝てるくらい強くなるのは難しいかもしれない。でも、それでも少しでも強くなって彼女に近づきたい。この短い時間を少しでも使って!
オオタチの足が急に止まった。尾で立ち上がり耳をそば立てている。これは周囲を警戒する時の姿勢だ。もう間もなく、スイリョクタウンへ入る橋が見えるというところ。何かあるのだろうか? スグリはオオタチの視線を辿り、左手、木々の向こうをうかがえば薄暗がりの中に今日ずっと追いかけていた白い帽子が浮かび上がる。アオイが平原の中でへたり込んでいる!? こちらに背を向けているので表情は見えないが、怪我でもしたのだろうか。道をそれて草むらへ踏み出す――が、足を急いで止めた。思わずその場でかがんで身を隠す。奇妙な声が聞こえるのだ。
オオタチと顔を見合わし、音を立てないようにそーっと、静かに近づく。
「アブ・アブ・アブリーちゃん! シュシュっと回復しましょうね~♪」
帽子の陰で相変わらず表情は見えないが、帽子の主はひとまず元気なようで安心した。もう少し様子がよく見えないだろうかと、回り込むように移動する。見えた! 帽子のつばに隠れるかたちで相変わらず表情はわからない。それでも手元の様子は確認できた。片手には〝きずぐすり〟、もう一方の手のひらには小さな黄色い虫ポケモン、アブリーだ! キタカミの里では頻繁に見かける、小さくてかわいらしい虫ポケモン。虫ポケモンが苦手な女性陣でもアブリーはかわいらしくて大好きだ、という意見も多い。
(そういや、アブリーもゲットしたいって言ってたな)
今朝ヤンヤンマから始まった彼女との虫ポケモン談義。今日、一日一緒に過ごすなかで度々会話は虫ポケモンの話題に向けられた。その中でアオイがアブリーについて語る場面もあったのだ。
「ちっちゃいちっちゃいアブリーちゃん! 小さくても強いね~♪」
手のひらに乗ったアブリーにきずぐすりを吹き付けている。その調子に合わせて鼻歌をうたっているのだ。歌詞もメロディもめちゃくちゃな即興で作られた歌。もう歌詞も思いつかないのか、ただのハミングに変わりつつある。
プッ、と吹き出しそうになるのを必死に堪える。
あまりにも機嫌の良いその歌声には無事にゲットできたこと、その喜びが伝わってくる。が、きっとこれは誰にも聞かれていないと思っての行動だ。自分が聞いていたと分かったらアオイは嫌な気持ちにならないだろうか?
(これが姉ちゃんだったら鼻歌を歌っているところを隠れて見ていた、なんてばれたならそれこそ鬼のよーに怒るべ)
もっとも身近な女性――理不尽に怒る姉の姿を想像するだけでうんざりする。でも、アオイならば気にしないかもしれない。
(友達だったら、こんなこと気にしないで声をかけて歌をからかっても、それで一緒に笑えるのかもしれねぇ)
思い切って声をかけてみようか、少し悩んでみて結局やめた。せっかくちょっと仲良くなれた気がするのに、彼女の機嫌を損ねてしまうかもしれない。少しでもそんな可能性のある行動を選ぶ勇気が出なかった。
一方アオイたちの方は、きずぐすりの効果ができたのか、手のひらの上でぐったりとしていたアブリーが目を覚ました。
アブリー視線は彼女の顔へと向けられる。飛び立つことはないが鼻歌の調子に合わせて体をゆすり始める。
人の喜怒哀楽のオーラを感じ取るアブリーの性質のせいだろうか、アオイの喜びの鼻歌に同調しているようだった。
もうここを離れて先に家に向かおう。スグリのそばで静かに待っていてくれたオオタチ。彼のほうもそろそろじっとしているのが辛くなってきたらしい。顔を洗ったり、もじもじと落ち着きがない。と、見なかったことにして立ち去ろうにも、これも難しいことに気づいた。アオイの鼻歌はまだ絶好調で続いているとはいえ、ちょっとした音でも彼女に聞こえれば自分がこうして聞き耳を立てていたことに気づかれてしまうかもしれない。スグリは彼女に気づかれないように、慎重に。でも素早くオオタチと共にここを離れたかった。
「ほんと、口に入っちゃいそうなくらい小さいな」
ヒュルリと吹いた風が冷たい空気を運んできて、鼻歌が止んだ。
つられてスグリも動けなくなる。オオタチをモンスターボールに戻したら、きっと開閉の音で彼女に気づかれてしまう。どうか気づかれませんように! 祈るように息を潜める。当のアオイの方はフンフンとリズムを確かめるように再びハミングを始めた。
「ちっちゃいアブリーちゃん! お口の中にはいりそう~」
「あま~いかおりでおいしそうだね~、食べちゃいたいくらい~か~わいい~」
不穏な歌詞になってきたな。
さっきまで鼻歌に同調して体を揺らしていたアブリーも今では揺らすというより震えている。まるで歌詞の意味がわかっているかのよう。ほんとうだったら黒目がちの潤んだ瞳が大きく見開かれ白目を剥いているように見える。
パッとアブリーと視線がぶつかる。プンッと軽い羽音を立てて飛び上がりこちらに向かってきた。ぶつかるっ! と思った瞬間にぐるりと回り込み、後ろ頭に張り付いた。プププ……と震える羽音が頭に直に響く。
一方正面には、振り返ったアオイ。空になったきずぐすりを片手にぶら下げたままふらりと立ち上がる。その表情はさっきのご機嫌な歌声とは違ってどこか虚ろだ。
「い、今の聞いてた?」
「おれ、し、知らねーよ?」
な? とオオタチに問いかければ、そちらもブンブンと頭を大きく振ってを頷く。彼もまたアオイの雰囲気がいつもと違うことに気づいている。
「その反応! 聞いてたんじゃん!!」
きずぐすりを持った手を振り上げて駆け寄ってくる。
ぶたれる! その勢いに気押されて尻餅をつく。が、頭に衝撃は襲ってこない。つぶった瞳を恐々と開くとヘナヘナと降りてきたきずぐすりがぽこりとヘアバンドに触れた。
「転ばせちゃってごめん。スグリと一緒にいるの忘れてたわたしが悪い」
「や、その、いい歌だと思うべ。アブリー愛に溢れてて」
「誰にも言わないでね! 恥ずかしい~! ゼイユちゃんにもだよ!!」
「言わねえ、言わねえって」
もおーっ! 恥ずかしいー!! とミルタンクのような叫び声をあげて彼方へ走り出すアオイ。
引き離されてはたまらない、急いで立ち上がる。
「ほら、お前もあっち行けって! お前のご主人はあっちだろ!」
駆けながら後ろ頭をパタパタとはたけば、プゥンッとアブリーが浮かび上がった。
自分と彼女の後ろ姿を見比べる。
「アオイ! もう暗いから走ったら危ねーよ!」
彼女が駆けていったのは河原の方だ、転んでも、川に落ちても危ない。オオタチと共にスグリも駆け出す。アブリーの方も、駆けていく主人の様子にもう恐れは感じないのか、スグリ達の後を追いかけていった。
日も暮れて薄暗くなった今、目の前の長い石段を見下ろしても先を行く少女の姿は見つからなかった。スグリの傍らでオオタチも尾で立ち上がって遠くまで見渡している。
いくら自分から離れてついて行くと言ったとはいえ完全に見失ってしまうのも良くない。オモテ祭に行く準備をするのにアオイを家まで連れて行かなくてはいけないのだから。スマホロトムで目的地に登録済みとはいえ、行き先は自分の家だ。家に着いたところでは合流している状態が望ましい。友達――いや知人の家とはいえ一人では入りづかろう。
先を進む少女に早く追いつこうと、石段を駆け下りる。短い手足で上手にオオタチは先行する。石段の下の広場を過ぎれば、右手の竹林と岩場を抜けるか、そのまま真っ直ぐ坂を下るか。少し迷ってオオタチを見やれば、彼は真っ直ぐと正面の坂道を見据えていた。
「いけるか? オオタチ?」
傷の回復は済んでいるとはいえ、ついさっきアオイと恐れ穴の前でバトルを終えたばかりだ。疲労も溜まっているかもしれない。オオタチはその場でクルリと一回転した後、元気よく鳴き声を上げる。まるで自分はまだまだいけるぞ! と示すように。
「ん、あんがとな。それじゃ、アオイに追いつくまでもうちっと特訓じゃ」
一人と一匹は共に駆け出す。ロコンやヘラクロスといった行く道を立ちふさぐ野生のポケモンたちを倒しながら進んでいく。先にいるであろう少女、彼女は強い。この林間学校の間で彼女に勝てるくらい強くなるのは難しいかもしれない。でも、それでも少しでも強くなって彼女に近づきたい。この短い時間を少しでも使って!
オオタチの足が急に止まった。尾で立ち上がり耳をそば立てている。これは周囲を警戒する時の姿勢だ。もう間もなく、スイリョクタウンへ入る橋が見えるというところ。何かあるのだろうか? スグリはオオタチの視線を辿り、左手、木々の向こうをうかがえば薄暗がりの中に今日ずっと追いかけていた白い帽子が浮かび上がる。アオイが平原の中でへたり込んでいる!? こちらに背を向けているので表情は見えないが、怪我でもしたのだろうか。道をそれて草むらへ踏み出す――が、足を急いで止めた。思わずその場でかがんで身を隠す。奇妙な声が聞こえるのだ。
オオタチと顔を見合わし、音を立てないようにそーっと、静かに近づく。
「アブ・アブ・アブリーちゃん! シュシュっと回復しましょうね~♪」
帽子の陰で相変わらず表情は見えないが、帽子の主はひとまず元気なようで安心した。もう少し様子がよく見えないだろうかと、回り込むように移動する。見えた! 帽子のつばに隠れるかたちで相変わらず表情はわからない。それでも手元の様子は確認できた。片手には〝きずぐすり〟、もう一方の手のひらには小さな黄色い虫ポケモン、アブリーだ! キタカミの里では頻繁に見かける、小さくてかわいらしい虫ポケモン。虫ポケモンが苦手な女性陣でもアブリーはかわいらしくて大好きだ、という意見も多い。
(そういや、アブリーもゲットしたいって言ってたな)
今朝ヤンヤンマから始まった彼女との虫ポケモン談義。今日、一日一緒に過ごすなかで度々会話は虫ポケモンの話題に向けられた。その中でアオイがアブリーについて語る場面もあったのだ。
「ちっちゃいちっちゃいアブリーちゃん! 小さくても強いね~♪」
手のひらに乗ったアブリーにきずぐすりを吹き付けている。その調子に合わせて鼻歌をうたっているのだ。歌詞もメロディもめちゃくちゃな即興で作られた歌。もう歌詞も思いつかないのか、ただのハミングに変わりつつある。
プッ、と吹き出しそうになるのを必死に堪える。
あまりにも機嫌の良いその歌声には無事にゲットできたこと、その喜びが伝わってくる。が、きっとこれは誰にも聞かれていないと思っての行動だ。自分が聞いていたと分かったらアオイは嫌な気持ちにならないだろうか?
(これが姉ちゃんだったら鼻歌を歌っているところを隠れて見ていた、なんてばれたならそれこそ鬼のよーに怒るべ)
もっとも身近な女性――理不尽に怒る姉の姿を想像するだけでうんざりする。でも、アオイならば気にしないかもしれない。
(友達だったら、こんなこと気にしないで声をかけて歌をからかっても、それで一緒に笑えるのかもしれねぇ)
思い切って声をかけてみようか、少し悩んでみて結局やめた。せっかくちょっと仲良くなれた気がするのに、彼女の機嫌を損ねてしまうかもしれない。少しでもそんな可能性のある行動を選ぶ勇気が出なかった。
一方アオイたちの方は、きずぐすりの効果ができたのか、手のひらの上でぐったりとしていたアブリーが目を覚ました。
アブリー視線は彼女の顔へと向けられる。飛び立つことはないが鼻歌の調子に合わせて体をゆすり始める。
人の喜怒哀楽のオーラを感じ取るアブリーの性質のせいだろうか、アオイの喜びの鼻歌に同調しているようだった。
もうここを離れて先に家に向かおう。スグリのそばで静かに待っていてくれたオオタチ。彼のほうもそろそろじっとしているのが辛くなってきたらしい。顔を洗ったり、もじもじと落ち着きがない。と、見なかったことにして立ち去ろうにも、これも難しいことに気づいた。アオイの鼻歌はまだ絶好調で続いているとはいえ、ちょっとした音でも彼女に聞こえれば自分がこうして聞き耳を立てていたことに気づかれてしまうかもしれない。スグリは彼女に気づかれないように、慎重に。でも素早くオオタチと共にここを離れたかった。
「ほんと、口に入っちゃいそうなくらい小さいな」
ヒュルリと吹いた風が冷たい空気を運んできて、鼻歌が止んだ。
つられてスグリも動けなくなる。オオタチをモンスターボールに戻したら、きっと開閉の音で彼女に気づかれてしまう。どうか気づかれませんように! 祈るように息を潜める。当のアオイの方はフンフンとリズムを確かめるように再びハミングを始めた。
「ちっちゃいアブリーちゃん! お口の中にはいりそう~」
「あま~いかおりでおいしそうだね~、食べちゃいたいくらい~か~わいい~」
不穏な歌詞になってきたな。
さっきまで鼻歌に同調して体を揺らしていたアブリーも今では揺らすというより震えている。まるで歌詞の意味がわかっているかのよう。ほんとうだったら黒目がちの潤んだ瞳が大きく見開かれ白目を剥いているように見える。
パッとアブリーと視線がぶつかる。プンッと軽い羽音を立てて飛び上がりこちらに向かってきた。ぶつかるっ! と思った瞬間にぐるりと回り込み、後ろ頭に張り付いた。プププ……と震える羽音が頭に直に響く。
一方正面には、振り返ったアオイ。空になったきずぐすりを片手にぶら下げたままふらりと立ち上がる。その表情はさっきのご機嫌な歌声とは違ってどこか虚ろだ。
「い、今の聞いてた?」
「おれ、し、知らねーよ?」
な? とオオタチに問いかければ、そちらもブンブンと頭を大きく振ってを頷く。彼もまたアオイの雰囲気がいつもと違うことに気づいている。
「その反応! 聞いてたんじゃん!!」
きずぐすりを持った手を振り上げて駆け寄ってくる。
ぶたれる! その勢いに気押されて尻餅をつく。が、頭に衝撃は襲ってこない。つぶった瞳を恐々と開くとヘナヘナと降りてきたきずぐすりがぽこりとヘアバンドに触れた。
「転ばせちゃってごめん。スグリと一緒にいるの忘れてたわたしが悪い」
「や、その、いい歌だと思うべ。アブリー愛に溢れてて」
「誰にも言わないでね! 恥ずかしい~! ゼイユちゃんにもだよ!!」
「言わねえ、言わねえって」
もおーっ! 恥ずかしいー!! とミルタンクのような叫び声をあげて彼方へ走り出すアオイ。
引き離されてはたまらない、急いで立ち上がる。
「ほら、お前もあっち行けって! お前のご主人はあっちだろ!」
駆けながら後ろ頭をパタパタとはたけば、プゥンッとアブリーが浮かび上がった。
自分と彼女の後ろ姿を見比べる。
「アオイ! もう暗いから走ったら危ねーよ!」
彼女が駆けていったのは河原の方だ、転んでも、川に落ちても危ない。オオタチと共にスグリも駆け出す。アブリーの方も、駆けていく主人の様子にもう恐れは感じないのか、スグリ達の後を追いかけていった。