なだらかな丘を上る道の両脇にりんご園が広がっている。目の前の香りをめいっぱい吸い込み、振り返って、はるか後方で立ち止まった少年めがけてアオイは走り出した。
「おーい! そんなに離れていないで一緒に行こうよ!」
相手がたじろいでいるうちに、逃げられないように! 彼の前で急ブレーキをかけて、一気にたたみかける。
「さっきみたいにさぁ、私思いっきり道間違えちゃうかもだし。アハハハハ、地図にも目的地登録して道も実質二択なのにおっかしいよねぇ! 本格的に坂上る前に気づいて良かったぁ。スグリはここの生まれだから道よくわかってるでしょ? 一緒に行って道間違えたら教えてよ! お喋りしながらさぁ!」
オリエンテーリングが始まって真っ先に真反対の道へ進んでしまった失敗を振り返る。せっかくパートナーになったスグリが親切に目的地を教えくれたのに。(おかげでジニア先生に会ってたまごをもらえたど)
「さ、……さっきの道とこっちの道しかスイリョクタウンから伸びる道はねぇ。間違いようねぇからだいじょうぶだぁ」
「俺、迷惑かけたくないから!」
それじゃ! と身を翻して行ってしまう! 止める間もなく建物の影に消えてしまった。
(かっこいいって言ってくれたし、さっきちょっとお喋りしたし、仲良くできそうだと思ったんだけどなぁ)
残念だがここまで固辞されたなら食い下がるのも悪い。
せっかくペアになったのに一人の道行きは味気ない。かといってコライドンに乗せてもらうのもなぁ。いくら離れてついてくるといっても、コライドンのスピードではきっと引き離されてしまう。
仕方がない、緑のなかにかすかに甘い香りがある、そんな気がするりんご園の間へ足を進めた。
空から降り注ぐ日の光は気持ちが良くて、山の上のせいか熱すぎることもなくて、見慣れない土地の景色は見ているだけでも楽しくって。度々立ち止まってキタカミの里を堪能しながらアオイは進む。今一番、目をひくのはもちろん両脇に広がるりんご園。そうしていると、りんごの幹の影から黄色い塊がはみ出ている。つるりとしたボリュームのあるシルエット。植物? それともポケモン? 正体を見定めようとじわりじわりと近寄ってみる。気のせいだろうか幹の向こうでふるふると震えているようだ。もっと姿がよく見たい。もう一歩足を進めると相手は我慢ならなくなったのか思い切って飛び出してきた! 大きな黄色い頭に対してアンバランスなほど細い手足。かわいらしい小さな瞳は今、こちらを強くにらみつけている。――思い切りの良い、度胸のある子だな。
オリエンテーリングが始まったばかりだが、まぁよい。パルデアでは見たことのない、キタカミの里のポケモンをゲットしながらゆっくり進もう。
そうしていれば、もしかしたら後から追いついたスグリの方から声をかけてくれるかもしれない。
何よりまずは目の前のポケモンとの出会いを逃したくない。アオイはこの子をゲットするのに誰が一番適役だろうか、と腰元のモンスターボールへ手を伸ばした。
りんご園を抜けて坂を登り切ると別れ道。行き先を示す看板によると左の下り坂はフジが原。右へ進めばともっこプラザ。右手に見えた赤い三角アーチをくぐって、アオイは看板巡りの最初の目的地に足を踏み入れた。
入ってすぐ、目当ての看板はあった。看板についている赤い屋根、ともっこプラザの入り口とおそろいだ。
(スグリはまだ来てないみたい)
来た道を振り返ってみても彼の姿はまだ見えない。オリエンテーリングの課題、看板と一緒の写真撮影は二人そろっていなくてはいけない。どうしようかな、ぷらぷらと辺りを見回す。ベンチ、休憩している人にポケモン。奥の広場には、これは……?
(ともっこ像?)
小さな小屋の中に三体の小さな石像。ややデフォルメの効いた顔立ちに、里の人の手作りだろうか? 帽子に前掛け、マントとそれぞれに小さな衣装をまとっている。
(石の像に布で作った服を着せてるの珍しい気がする。キタカミの里だと普通なのかな?)珍しいものがたくさん見られておもしろい! 林間学校来て良かったな。
(そろそろ追いついてきているだろうか?)
ともっこプラザの端、柵のそばまで寄ってみればついさっき通ってきたりんご園の様子が見下ろせる。見れば、黄色いヘアバンドを着けた黒い頭がちょうどりんご園を抜けてやってくるところだった。
スグリを出迎えよう! 急いで看板の前まで戻ろうとして気づいた。そういえば彼はこの村の生まれなのだ。看板に書いてあるというキタカミの歴史もきっとすでに知っているはずだ。彼が来たらすぐに写真が撮れるように、先に看板の内容を読んでおけば良かった。
そうやって急いで引き返してもアオイが看板を読み始める前に、スグリは彼女のところへ到着した。
看板を背景にした一緒の写真撮影が済むと離れてついてくると言う彼を引き留める。せっかくだからちょっと座って話そうよ。すぐそばにある青いベンチを指さした。
ベンチに薄く積もった砂埃を軽く払って腰掛ける。スグリの方は砂埃を気にする様子もない。せっかく綺麗な白い制服だが気にならないんだろうか。
「スグリの話を聞かなかったらわたし、ここに書かれたお話通りにしか受け取らなかったよ」
看板に描かれたキタカミの歴史、そしてスグリの鬼様への考えを聞いてアオイが最初に発した感想がそれだった。
「なにさ、さっきはアオイ、鬼様がかっこいいって言ったのに『そうかな・・・・・・?』なんて返したじゃねーか」
ついさっきまで”鬼様”について熱く語っていた、隣の少年はアオイの先ほどの発言をあげつらう。
「そうだよぉ、さきにあっちの広場のともっこ像を見たんだけどさ。あれ見てこの看板に書かれているお話を読んだら、ふーん、ともっこ様が良いポケモンで鬼が悪いやつだったんだね。ていう風にしか受け取れないよ」
「そうだけんど、」
「そう! そうだけどさ! たしかにスグリの言うことにも一理あると思うんだよね。三対一って確かに卑怯かも」
ポケモンバトルだって普通一対一で戦うわけだからねと、うんうんと独り合点してアオイはうなずいている。
「あっ、でも――パルデアですっごく大きなポケモン、ヌシポケモンって言うんだけど、そのポケモンと戦ったことがあるの」
「へぇー! アオイはそんなこともしてるんだべ?」
「うん、それでヌシポケモンと戦う時、わたしも友達と協力してたから二体一だったなって。これって卑怯だったかな?」
「アオイでも二体一じゃないと勝てなかったってことか」
「そう! すっごく大きくて」
あの山肌に張り付くくらいの――とすぐ脇に見える山を例えてアオイは説明する。スグリの方もふんふんと、真剣な表情で相づちを打つ。
(突拍子もない話だけど、信じてくれるかな?)
「そんなら、三体がかりで戦わねーと敵わなかった鬼様はきっともーっとデッカくて強かったんだろうなぁ!」
「たしかに! どんなポケモンだったのかなぁ!」
「あ、あとさ! スグリの話を聞いていて思い出したんだけど『ガラルの歴史』って本知ってる?」
「知らねぇ・・・・・・」
「アカデミーで読んでね。何年か前に出た本なんだけど、この本で今まで伝わっていたガラル地方の歴史ひっくり返されちゃったの」
今手元にない本の内容を必死に思い出す。うまくかいつまんで目の前の彼に伝えたかった。
「この本を書いた博士はね。ガラルの英雄が描かれた石碑が壊れた時、その下にあった本当の歴史を伝える遺構を見つけたんだって。そんな場面に居合わせて幸運だったのもあるだろうけど、ずっと伝わってきた歴史を、その事件をきっかけに新しい視点で考えて、仮説を立てて裏付ける証拠を見つける。それを本にして発表するのってすごいよねぇ!」
「お、おう。そのひとすげぇ博士じゃな」
応答してくれたが、スグリの顔はいまいちピンときていない。しまった。自分ばかりが一方的にしゃべってしまって、言いたいことがうまく伝わっていかった! いや、そもそも自分は何を伝えたかったのか……?
「いや、そうじゃなくて、わたしが言いたいのは……」
ぐぬぬぬぬ、と唸り声を上げて考え込む。アオイはこの本が好きだった。ずっと昔からそこにあって、そのまま続いていくものと思っていた教科書に載っている歴史。その歴史というものが、揺らぐ、変わるということを初めて目の当たりにした。そうした衝撃もあったし、何よりも伝説の表舞台から消えていた英雄であるポケモンに再び光が当たったことが嬉しかった。そういった『ガラルの歴史』への思い入れを振り返るが、どうも自分がスグリへ伝えたいこととは違う気がする。
「せっかくアオイが好きなことを話してくれたのに、俺理解できなくてごめんな」
自分がアオイの真意を汲み取れなかったとを気まずそうに詫びはじめるスグリ。いや、そうではないのだ。
「スグリが悪いんじゃなくて、そうじゃなくて……」
「アオイ、考えすぎじゃ。オクタンみたいな顔になっちまってるよ!」
考え込むと自然と顔にも力が入ってしまう。心配そうに指摘されたとおり、アオイの顔はオクタンのように口をすぼめてしまっていた。顔を元に戻して、必死に言葉を探す。
「わたしはスグリのこのお話、鬼様に対する見方がいいなぁ! すてきだなぁ! って思ったの!」
脳みそから絞り出した言葉がひどく単純で、結局彼の話を聞いて浮かんだ気持ちを自分でもうまく理解できなくて、妙に悔しくて。そんな気持ちを放り出したくて。それだけだから! と、両足に弾みをつけてアオイはベンチから勢いよく立ち上がった。
オリエンテーリングへ出発したのはまだ早い時間だった。今ともっこプラザから出る頃には、太陽はもう高く昇っている。
「そろそろお昼かな? お腹空いてきたね」
「じゃあ俺、一度家に戻って食べてくる」
こっからなら家は通り道だし、と家のあるらしい方角をぼんやりと見つめている。その横顔からは嫌がって距離をとろうとしている、というようには思えない。
(せっかくだから一緒に食べたかったんだけど。そういうのあんまり好きじゃないのかなぁ?)
一つ目の看板巡りを終えて、こうしてお喋りしたから少し打ち解けられたと思ったんだが、まあいいか。まだまだ看板巡りは始まったばかりだし。
「じゃ、わたしも公民館で食べようかな。一時間くらいしたら集合ね!」
「そんなら・・・・・・次の看板があるキタカミセンターはさっきアオイが間違えて進もうとした道のほうじゃから。準備できたら俺の方が公民館まで行って声かけるべ」
俺の家から公民館は通り道じゃし。
「それまで待っててな」
待ち合わせの約束をする彼の口端は少し上がっているように見えた。
「それじゃ、あとでね!」
相変わらず、彼は少し離れてついてくるらしい。アオイが歩き出しても隣に並ぶ気配はない。まぁ、良いのだ。早く公民館へ戻って昼食にしよう。彼が呼びに来たらすぐ出られるように準備も早くしておこう。アオイは坂道を駆けだした。りんご園の間を下る風が、背に当たる暖かな日差しが気持ちよいから。
「おーい! そんなに離れていないで一緒に行こうよ!」
相手がたじろいでいるうちに、逃げられないように! 彼の前で急ブレーキをかけて、一気にたたみかける。
「さっきみたいにさぁ、私思いっきり道間違えちゃうかもだし。アハハハハ、地図にも目的地登録して道も実質二択なのにおっかしいよねぇ! 本格的に坂上る前に気づいて良かったぁ。スグリはここの生まれだから道よくわかってるでしょ? 一緒に行って道間違えたら教えてよ! お喋りしながらさぁ!」
オリエンテーリングが始まって真っ先に真反対の道へ進んでしまった失敗を振り返る。せっかくパートナーになったスグリが親切に目的地を教えくれたのに。(おかげでジニア先生に会ってたまごをもらえたど)
「さ、……さっきの道とこっちの道しかスイリョクタウンから伸びる道はねぇ。間違いようねぇからだいじょうぶだぁ」
「俺、迷惑かけたくないから!」
それじゃ! と身を翻して行ってしまう! 止める間もなく建物の影に消えてしまった。
(かっこいいって言ってくれたし、さっきちょっとお喋りしたし、仲良くできそうだと思ったんだけどなぁ)
残念だがここまで固辞されたなら食い下がるのも悪い。
せっかくペアになったのに一人の道行きは味気ない。かといってコライドンに乗せてもらうのもなぁ。いくら離れてついてくるといっても、コライドンのスピードではきっと引き離されてしまう。
仕方がない、緑のなかにかすかに甘い香りがある、そんな気がするりんご園の間へ足を進めた。
空から降り注ぐ日の光は気持ちが良くて、山の上のせいか熱すぎることもなくて、見慣れない土地の景色は見ているだけでも楽しくって。度々立ち止まってキタカミの里を堪能しながらアオイは進む。今一番、目をひくのはもちろん両脇に広がるりんご園。そうしていると、りんごの幹の影から黄色い塊がはみ出ている。つるりとしたボリュームのあるシルエット。植物? それともポケモン? 正体を見定めようとじわりじわりと近寄ってみる。気のせいだろうか幹の向こうでふるふると震えているようだ。もっと姿がよく見たい。もう一歩足を進めると相手は我慢ならなくなったのか思い切って飛び出してきた! 大きな黄色い頭に対してアンバランスなほど細い手足。かわいらしい小さな瞳は今、こちらを強くにらみつけている。――思い切りの良い、度胸のある子だな。
オリエンテーリングが始まったばかりだが、まぁよい。パルデアでは見たことのない、キタカミの里のポケモンをゲットしながらゆっくり進もう。
そうしていれば、もしかしたら後から追いついたスグリの方から声をかけてくれるかもしれない。
何よりまずは目の前のポケモンとの出会いを逃したくない。アオイはこの子をゲットするのに誰が一番適役だろうか、と腰元のモンスターボールへ手を伸ばした。
りんご園を抜けて坂を登り切ると別れ道。行き先を示す看板によると左の下り坂はフジが原。右へ進めばともっこプラザ。右手に見えた赤い三角アーチをくぐって、アオイは看板巡りの最初の目的地に足を踏み入れた。
入ってすぐ、目当ての看板はあった。看板についている赤い屋根、ともっこプラザの入り口とおそろいだ。
(スグリはまだ来てないみたい)
来た道を振り返ってみても彼の姿はまだ見えない。オリエンテーリングの課題、看板と一緒の写真撮影は二人そろっていなくてはいけない。どうしようかな、ぷらぷらと辺りを見回す。ベンチ、休憩している人にポケモン。奥の広場には、これは……?
(ともっこ像?)
小さな小屋の中に三体の小さな石像。ややデフォルメの効いた顔立ちに、里の人の手作りだろうか? 帽子に前掛け、マントとそれぞれに小さな衣装をまとっている。
(石の像に布で作った服を着せてるの珍しい気がする。キタカミの里だと普通なのかな?)珍しいものがたくさん見られておもしろい! 林間学校来て良かったな。
(そろそろ追いついてきているだろうか?)
ともっこプラザの端、柵のそばまで寄ってみればついさっき通ってきたりんご園の様子が見下ろせる。見れば、黄色いヘアバンドを着けた黒い頭がちょうどりんご園を抜けてやってくるところだった。
スグリを出迎えよう! 急いで看板の前まで戻ろうとして気づいた。そういえば彼はこの村の生まれなのだ。看板に書いてあるというキタカミの歴史もきっとすでに知っているはずだ。彼が来たらすぐに写真が撮れるように、先に看板の内容を読んでおけば良かった。
そうやって急いで引き返してもアオイが看板を読み始める前に、スグリは彼女のところへ到着した。
看板を背景にした一緒の写真撮影が済むと離れてついてくると言う彼を引き留める。せっかくだからちょっと座って話そうよ。すぐそばにある青いベンチを指さした。
ベンチに薄く積もった砂埃を軽く払って腰掛ける。スグリの方は砂埃を気にする様子もない。せっかく綺麗な白い制服だが気にならないんだろうか。
「スグリの話を聞かなかったらわたし、ここに書かれたお話通りにしか受け取らなかったよ」
看板に描かれたキタカミの歴史、そしてスグリの鬼様への考えを聞いてアオイが最初に発した感想がそれだった。
「なにさ、さっきはアオイ、鬼様がかっこいいって言ったのに『そうかな・・・・・・?』なんて返したじゃねーか」
ついさっきまで”鬼様”について熱く語っていた、隣の少年はアオイの先ほどの発言をあげつらう。
「そうだよぉ、さきにあっちの広場のともっこ像を見たんだけどさ。あれ見てこの看板に書かれているお話を読んだら、ふーん、ともっこ様が良いポケモンで鬼が悪いやつだったんだね。ていう風にしか受け取れないよ」
「そうだけんど、」
「そう! そうだけどさ! たしかにスグリの言うことにも一理あると思うんだよね。三対一って確かに卑怯かも」
ポケモンバトルだって普通一対一で戦うわけだからねと、うんうんと独り合点してアオイはうなずいている。
「あっ、でも――パルデアですっごく大きなポケモン、ヌシポケモンって言うんだけど、そのポケモンと戦ったことがあるの」
「へぇー! アオイはそんなこともしてるんだべ?」
「うん、それでヌシポケモンと戦う時、わたしも友達と協力してたから二体一だったなって。これって卑怯だったかな?」
「アオイでも二体一じゃないと勝てなかったってことか」
「そう! すっごく大きくて」
あの山肌に張り付くくらいの――とすぐ脇に見える山を例えてアオイは説明する。スグリの方もふんふんと、真剣な表情で相づちを打つ。
(突拍子もない話だけど、信じてくれるかな?)
「そんなら、三体がかりで戦わねーと敵わなかった鬼様はきっともーっとデッカくて強かったんだろうなぁ!」
「たしかに! どんなポケモンだったのかなぁ!」
「あ、あとさ! スグリの話を聞いていて思い出したんだけど『ガラルの歴史』って本知ってる?」
「知らねぇ・・・・・・」
「アカデミーで読んでね。何年か前に出た本なんだけど、この本で今まで伝わっていたガラル地方の歴史ひっくり返されちゃったの」
今手元にない本の内容を必死に思い出す。うまくかいつまんで目の前の彼に伝えたかった。
「この本を書いた博士はね。ガラルの英雄が描かれた石碑が壊れた時、その下にあった本当の歴史を伝える遺構を見つけたんだって。そんな場面に居合わせて幸運だったのもあるだろうけど、ずっと伝わってきた歴史を、その事件をきっかけに新しい視点で考えて、仮説を立てて裏付ける証拠を見つける。それを本にして発表するのってすごいよねぇ!」
「お、おう。そのひとすげぇ博士じゃな」
応答してくれたが、スグリの顔はいまいちピンときていない。しまった。自分ばかりが一方的にしゃべってしまって、言いたいことがうまく伝わっていかった! いや、そもそも自分は何を伝えたかったのか……?
「いや、そうじゃなくて、わたしが言いたいのは……」
ぐぬぬぬぬ、と唸り声を上げて考え込む。アオイはこの本が好きだった。ずっと昔からそこにあって、そのまま続いていくものと思っていた教科書に載っている歴史。その歴史というものが、揺らぐ、変わるということを初めて目の当たりにした。そうした衝撃もあったし、何よりも伝説の表舞台から消えていた英雄であるポケモンに再び光が当たったことが嬉しかった。そういった『ガラルの歴史』への思い入れを振り返るが、どうも自分がスグリへ伝えたいこととは違う気がする。
「せっかくアオイが好きなことを話してくれたのに、俺理解できなくてごめんな」
自分がアオイの真意を汲み取れなかったとを気まずそうに詫びはじめるスグリ。いや、そうではないのだ。
「スグリが悪いんじゃなくて、そうじゃなくて……」
「アオイ、考えすぎじゃ。オクタンみたいな顔になっちまってるよ!」
考え込むと自然と顔にも力が入ってしまう。心配そうに指摘されたとおり、アオイの顔はオクタンのように口をすぼめてしまっていた。顔を元に戻して、必死に言葉を探す。
「わたしはスグリのこのお話、鬼様に対する見方がいいなぁ! すてきだなぁ! って思ったの!」
脳みそから絞り出した言葉がひどく単純で、結局彼の話を聞いて浮かんだ気持ちを自分でもうまく理解できなくて、妙に悔しくて。そんな気持ちを放り出したくて。それだけだから! と、両足に弾みをつけてアオイはベンチから勢いよく立ち上がった。
オリエンテーリングへ出発したのはまだ早い時間だった。今ともっこプラザから出る頃には、太陽はもう高く昇っている。
「そろそろお昼かな? お腹空いてきたね」
「じゃあ俺、一度家に戻って食べてくる」
こっからなら家は通り道だし、と家のあるらしい方角をぼんやりと見つめている。その横顔からは嫌がって距離をとろうとしている、というようには思えない。
(せっかくだから一緒に食べたかったんだけど。そういうのあんまり好きじゃないのかなぁ?)
一つ目の看板巡りを終えて、こうしてお喋りしたから少し打ち解けられたと思ったんだが、まあいいか。まだまだ看板巡りは始まったばかりだし。
「じゃ、わたしも公民館で食べようかな。一時間くらいしたら集合ね!」
「そんなら・・・・・・次の看板があるキタカミセンターはさっきアオイが間違えて進もうとした道のほうじゃから。準備できたら俺の方が公民館まで行って声かけるべ」
俺の家から公民館は通り道じゃし。
「それまで待っててな」
待ち合わせの約束をする彼の口端は少し上がっているように見えた。
「それじゃ、あとでね!」
相変わらず、彼は少し離れてついてくるらしい。アオイが歩き出しても隣に並ぶ気配はない。まぁ、良いのだ。早く公民館へ戻って昼食にしよう。彼が呼びに来たらすぐ出られるように準備も早くしておこう。アオイは坂道を駆けだした。りんご園の間を下る風が、背に当たる暖かな日差しが気持ちよいから。